「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その7

2013-05-03

才市が

「才市(さいち)も、あみだも、みなひとつ」

と歌った阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)とは、どのような存在でしょうか?

浄土教の教えをよく存じ上げない方もおられると思いますので、簡単に説明いたしましょう。

浄土教においては、阿弥陀仏は、西方十万億の仏土をすぎたはるか彼方の極楽浄土(ごくらく-じょうど)におられて、私たち凡夫を救ってくださる存在とされます。

はたして、実際に阿弥陀仏が存在するかどうか、という議論は、科学的には立証不可能な問題です。
キリスト教における神(ゴッド)と同様に、不可知(ふかち)な存在(理性や科学では理解しきれないもの)と捉えておきましょう。

世界的な分子生物学者である村上和雄先生(筑波大学名誉教授)は、「生物の進化に影響を与えた人智を超えた存在」をサムシンググレートと呼んでいます。

「人智を超えた偉大な存在」とは、平たく言えば、神様や仏様ということです。サムシンググレートとは、特定の宗教の枠組みを超えて、神や仏を呼ぶときに使われる言葉です。

浄土教においては、サムシンググレート(人智を超えた偉大な存在)を「阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)」と呼ぶと考えておけば、わかりやすいように思います。

極楽浄土とは、サムシンググレートである阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)の世界です。

私たちのこの世界とは、次元が異なる世界でしょうが、全くの別世界というわけではなく、密接な関わりがあると言えるでしょう。

なぜなら、浄土教の教えでは、阿弥陀仏を信じ、念仏するものは、誰でも死ねば、無条件に「極楽浄土(ごくらく-じょうど)」に迎えていただけるからです。

浄土教の教えから言えば、凡夫である私たちとサムシンググレートである阿弥陀仏とは、次元の異なる存在です。凡夫は、凡夫なるがゆえに、自分の力では、仏様の境涯にはなれません。

 仏教の本来の教えから言えば、修行によって仏様と同じ境涯になれるとは言え、凡夫である自分は、あまりに煩悩(ぼんのう)が深く、また、本格的な仏道修行をする余裕もない。

 だから、この世で仏様の境涯に近づくこともなく、死んでも地獄に落ちるばかりの罪深い存在です。

 しかし、そのよう凡夫のために、ただ念仏をするだけで、阿弥陀仏が救いの手を差し伸べてくれているわけです。

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