「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その1

2013-05-03

鈴木大拙は、近代の妙好人の代表として、また日本的霊性(日本的なスピリチュアリィティ)を体現した人物として、浅原才市(あさはら-さいち)のことを高く評価しています。

『日本的霊性』(角川文庫版)の中でも「浅原才市」という一項目を立てて60ページ余も、才市のことを紹介しています。

ページ数だけから言えば、浄土宗を開宗した法然の章よりも多いくらいです。浅原才市を有名にしたのは、鈴木大拙であると言っても良いかもしれせん。

浅原才市は嘉永3年(1850)石見国大浜村小浜(現島根県大田市温泉津町小浜)に生まれ、昭和7年(1932)、82歳でなくなりました。
50歳頃までは、船大工をしていたようですが、その後は、履物屋で下駄職人となり、死ぬまで下駄(げた)作りとその仕入れなどをして生活していました。

才市は、その仕事の合い間に、「口あい(くちあい)」と称せられる、信仰を詠んだ自作詩、約10,000首をかんな屑に書き綴っていました。

才市の詩があまりに素晴らしいので、仏教学者の藤秀翠(ふじ-しゅうすい)氏が自分の著書で紹介され、それを読んだ鈴木大拙が才市を高く評価し、『日本的霊性』の中に一項目をたてて、大々的に紹介したのでしす。

<注>
才市は、漢字をわずかしか知らなかったらしく、才市の詩の大部分は、平仮名で書かれています。もともとは、下駄を作るときに出る、かんな屑(薄い木屑)に思いつくままに書いたものです。

それを才市自身が清書したノートが60冊ほどあったそうですが、戦災などで焼けて今日まで残っている自筆の清書帳は数少ないそうです。

しかし、戦災で清書帳が焼ける前に、藤秀翠氏や鈴木大拙などの努力によって、詩集が作られており、かなりの数の詩が今日まで伝わっているようです。

私は、鈴木大拙の『日本的霊性』などを通じて、その一部分しか、見ておりませんが、本当に心打たれる詩がたくさんあります。
才市は、本当に深い信心を持った人だったのだろうと思います。

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