「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その10

2013-05-03

才市(さいち)は、宝くじに当たったように、阿弥陀様(あみださま)の慈悲の心に見事に当たりました。その喜びは、次の詩にもよく表れています。

このあさましが、今、娑婆(しゃば)の世で、
いま親様(おやさま)と、あすんでをりますよ
            (遊んでおりますよ)

わたしや親様と、弥陀(みだ)の浄土(じょうど)に、
あすびとられますよ(遊び取られますよ)

(『日本的霊性』角川文庫版P. 277)

「このあさましが」とは、「このようなあさましい凡夫である自分が」ということです。才市の詩には、自分のことを「あさましい、あさましい」という表現がたくさんあります。これもその一つです。

「親様(おやさま)」とは、「阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)のことです。阿弥陀如来のことを浄土教信徒は、親しみをこめて「親様(おやさま)」と呼びます。

キリスト教徒が、神(ゴッド)のことを「天にまします我らが父よ」と神様のことを「父」と呼びかけるように、浄土教信徒は、阿弥陀様を「親(おや)」と呼ぶのです。

「親」と呼ばれる阿弥陀様には、父的な要素も、母的な要素も入っていますが、キリスト教の「神(ゴッド)」のように、人を裁く存在ではありません。
ただひたすら、慈悲の手を人間に差し伸べる存在です。

観音菩薩(かんのん-ぼさつ)は、阿弥陀如来(あみだ-にょらい)の慈悲の面を象徴している菩薩(ぼさつ)であるということです。

しばしば、観音様が女性的な感じの仏像に作られるのは、どのような悪人も裁くことなく、あらゆる人を極楽浄土に救いとろうという阿弥陀仏の大悲の心によるものだからでしょう。

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