「宇宙とぶっつづきの自己」

2013-10-20

曹洞宗の禅僧の中で、昭和の時代に最も活躍されたのが、沢木興道老師です。(さわき こうどう、道号:祖門、1880年 – 1965年)

沢木興道老師の残された名言に、一番弟子であった内山興正老師が解説した本、『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』(大法輪閣)から、興道老師の名言及び教えをご紹介するシリーズの第4回目です。

<法句(沢木老師の言葉)>

 坐禅は宇宙一杯とスイッチのつく法である。

宇宙一杯のものを即今、即今、一切に尽くして行じてゆくことが
三昧(ざんまい)である。

さとりとは、けっして面倒なところへゆくことではない。
アタリマエになることである

 
 「悟りとは、当たり前になること」とは、沢木老師によれば、坐禅によって「宇宙いっぱいとスイッチがつく法」でもあります。

 道元禅を極めた沢木老師からみれば、「宇宙いっぱいとスイッチがつく」ことが、人間本来のあり方であり、当たり前の生き方なのです。
 
私たち凡人は、「当たり前」ということを簡単なこと、あるいは、重要性のないつまらないことと誤解しがちです。

しかし、沢木老師のいう「当たり前」は、「宇宙いっぱいのものを即今(ただ今この時に)、一切に行じていくこと」です。
こうなると、「当たり前」は、容易ならざる高い境涯を指す言葉になります。

私が指導を受けた人間禅道場においても、20代の頃に、白田老師(はくた-ろうし)から「当たり前のことを当たり前に行ずることが大事だ」と何度もお説教されました。
おそらく、沢木老師の教えと同じ精神を伝えようとされたのだと思います。

ボケっとしていた私は、「当たり前のことを当たり前に行ずる」を単純に「目先のことに打ち込んでいく」という「三昧(ざんまい)」の意味に受け取っていました。

間違いではないと思いますが、沢木老師の本を読んで、「当たり前」には、さらに大きく深い意味があったことにようやく気が付いた次第です。

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