『日本的霊性』とは?ー4

2013-05-03

鈴木大拙(だいせつ)は、自ら禅の修行を極め、また、英語でたくさんの禅の本を書く事によって、世界に禅を広めた方です。

それだけに、「日本的霊性」の代表として禅を取り上げるのは当然のことでしょう。

「日本人の精神そのものが禅的である」(角川文庫版P36)とまで言っています。

しかし、一見、禅とは正反対に見える浄土教の教え、法然聖人(ほうねんしょうにん)、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えも「日本的霊性」として高く評価しています。(注)

 親鸞の浄土真宗にあらわれた「妙好人(みょうこうにん)」という僧侶ではない在家信者で信仰に厚く徳行に富んでいる一群の人々がおられます。

 この「妙好人(みょうこうにん)」を宗教学者として最初に高く評価したのが、鈴木大拙でした。

 『日本的霊性』においても、全体の2割近くを「妙好人」の章に当てています。

 私も、『日本的霊性』を読んだときに一番感動したのは、「妙好人(みょうこうにん)」の章でした。

 そこで、以下に、「妙好人(みょうこうにん)」についてご紹介したいと思います。

(注)禅と浄土教の違い

禅の教えは、自力(じりき)と言われます。

自分で修行することによって「悟り」を深め、お釈迦様、仏様の境涯に近づいていくことができるとするからです。

そこには、人間を超えた特定の仏様の力で救われるという考えはありません。人間の可能性に対する絶対的な信頼感が根底にあると思いますししかし、私のような普通の人間には、厳しすぎると感じる時もあります。

また、生活におわれている私たちには、ゆっくりと禅の修行に取り組む時間を取ることは難しいことです。在家禅がなかなか広まらないのは、当然のことかもしれません。

日本の臨済禅を確立した江戸時代の白隠禅師(はくいん-ぜんじ)も、同様の問題意識を持っておられたように思います。

白隠禅師は、本来の禅の修行が大切であるという立場を取りながらも、庶民に対しては、『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)』というわずか40文字余りの短いお経を数万枚も印刷して、ひたすらそれを読誦することを勧めています。

『延命十句観音経』は、本来は大乗仏教の真髄を伝える深い意味をもった大変ありがたいお経ですが、白隠禅師は、その功徳(現世利益)を強調する本まで書かれています。(『延命十句観音経霊験記』)

さて、自力の教えを基本とする禅仏教に対して、法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)が確立し広めた浄土教は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えるだけで、阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏様が極楽浄土への往生を約束してくれるという教えです。

阿弥陀如来の力によって救われるという点で、徹底的な他力(たりき)の教えです。

仏教は基本的に修行することによって心を清めていくことを前提にしているので、浄土教の教えは、異色の仏教とも言えます。
外国の宗教学者の中には、浄土教を仏教徒は別の宗教と規定する人もいると聞きます。
確かに、阿弥陀如来をキリストに置き換えれば、キリスト教の教えに似ていますので、仏教徒は異質という捉え方も成り立つのでしょう。

しかし、鈴木大拙は、禅も浄土教も、日本人が生んだ最高の「霊性」の現れであると評価しているのです。

この鈴木大拙の視点は、今日では、ある意味、常識に近いのかもしれませんが、『日本的霊性』が書かれたのが、第二次世界大戦中の昭和19年(1944年)であることを思うと、驚くべき先見性であったと思います。

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