『禅と陽明学』より「儒教と老荘と禅」

2014-03-11

気体の熱量を上げると分子の活動が激しくなるように、経済生活を豊かにするためには、人間は、必然的に忙しくなります。

仕事に打ち込んで忙しい毎日を過ごすことは、大変、尊いことですが、時として、重大な副作用・マイナス作用が起きることがあります。

安岡先生は、そのあたりのことを木の成長のあり方になぞらえて、分かりやすく解説してくださいます。

>根から幹(みき)が出て、
>枝葉(えだは)が繁茂(はんも)していくと、
>これをほしいままに繁茂させたら、木が弱ってしまって、
>枝の力は末梢化(まっしょうか)して、力は弱まってしまう。
>だからあまり枝葉を繁らせたり花を咲かせたり、
>実をならせ過ぎると、
>必ず木が弱って花も実もまずくなる。
>そして翌年はだめになる。
(『禅と陽明学』上巻p.156)

木には、根があり、そこから太い幹がのびて、てっぺんに近づくにつれて、枝分かれがおきて、だくさんの細い枝になり、その枝先に葉が茂ります。

森や林のように、たくさんの木が群生していれば、植物同志お互いのけん制があって、自然にバランスの良い茂り方をするようです。

しかし、庭木のように、一本の木を取り出して、これを木の自由に思いっきり茂らせたらならば、かえって、木が精力を使いすぎて弱ってきます。

花や実もそうであり、木の自由に、咲かせるだけ花を咲かせ、実りたいだけ実をならせると、翌年は、木が弱って、花が減り、実もあまりならなかったりします。

もし、果樹園などで、毎年、良質な実を収穫しようと思えば、それなりの工夫が必要になります。

>そこで本当に木を繁栄させるためには、
>どうしても正しく枝葉を刈らなければならない。
>即ち剪定(せんてい)しなければならない。
>あるいは花や実をもぎる、いわゆる果決しなければならない。
>こういうものを間引くことによって初めて、
>木の全体的な命を維持し、永続させることができる。

木を立派に育てようと思ったならば、木の負担にならないように、適宜、枝葉を切り落とす「剪定(せんてい)」という作業が必要です。果樹園などでは、花や実を適宜、間引く「果決(かけつ)」という作業が必要です。

このように、余分なものを間引くことによって、木が本来持っている全体的な生命を維持していくことができるのです。

もちろん、安岡先生は、木に例えて、人間のことをおっしゃっています。人間も、生活内容を思う存分、繁茂させたら、かえって疲労が蓄積して、次第に弱っていくことがあるという意味です。

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