『禅と陽明学』より小乗と大乗(その2)

2014-02-09

さて、安岡先生の解説は、高度の教養と学問に裏打ちされていますから、言葉からして難しくて、私たち凡夫には、なかなか理解しにくいものがあります。

私の勝手な読み方ですが、安岡先生は「自分が悟りをえるために学ぶこと」、つまり「智慧」(ちえ)を象徴するのが「小乗」(しょうじょう)仏教ととらえ、「他を救おう」とする「慈悲」(じひ)を象徴するのが「大乗」仏教であるととらえているのではないかと考えると、以下の引用文が、少し分かりやすくなるように思います。

(小乗仏教というお釈迦さまの)弟子たちの直系は、目的手段を出家においた。
あくまでも釈迦(しゃか)に従って教えを聞き、出家道に徹することを眼目とした形式主義の小乗は、従って出家道であります。

ところが、(大乗仏教では)出家した者だけが救われたのではしようがない。
出家たると在家(ざいけ)たるとを問わず、救われなければならない。「自覚覚他」(じかく-かくた)の大精神に生きなければならない(考えた)。

そこで、(大乗仏教では)手段を出家におかずに、出家・在家両方に自在に応用することを主張する声がだんだん高まってきた。
これも大乗、小乗のわかれる所以(ゆえん)です。
(『禅と陽明学』上巻P.71~72より)

お釈迦さまや、その教えを受け継ぐ祖師(そし)の教えを理解し、身につけるために修行するには、出家して、経済活動や社会活動から離れて、修行一筋の生活を送るのが、最も優れた方法になることでしょう。それを文字通り、実践してきたのが、「小乗仏教」でした。

日本の場合は、出家された僧侶といえども、普通に結婚し、在家の人と同様の食生活(肉食や飲酒)をし、不動産事業(地主としての経済活動)や幼稚園などの経済活動をしていたりします。

これらは、お釈迦さまの時代に守られた戒律から言えば、いずれも、出家者としての戒律に反する面があります。日本では、出家と在家の違いが小さく、あいまいであることは、私たちが普通に感じていることでしょう。

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