『禅と陽明学』より小乗と大乗

2014-02-09

戒律を厳しく守り、お釈迦さまの教えと行いをそのまま受け継ごうとする小乗仏教は、仏教宗派の中の長男格であると思います。

反面、戒律(かいりつ)重視、出家中心主義が、私たち日本人には、形式的に見えることも事実です。
また、出家の生活と普通の庶民の生活が離れて、出家者が、哲学的探求に没頭して、普通の人々を宗教的に救うという本来の活動から遊離してきたという歴史もありました。

そのような哲学的宗教ではなく、すべての人の救いとなる仏教にしようとしたのが、大乗仏教の活動でした。このような活動は、インドにおいて、紀元前後から数百年も続きました。この大乗の教えを受け入れたのが、中国や日本でした。

安岡先生は、大乗仏教の特徴を以下のように説明されています。

(大乗仏教の特徴)
それに対して大乗の方はこう考える。

つまり釈尊(しゃくそん)は、
深遠なる徹底した「自覚」とともに、
限りなく広いところの「覚他」(かくた)
―自ら覚(さと)るとともに、他を覚(さと)らせる

「自覚覚他」(じかく-かくた)

あるいは、別の言葉でいえば
「上求菩提(じょうぐ-ぼだい)」
(さとりの道、救いの道を求める)と、

「下化衆生(げけ-しゅじょう)」(下、衆生を教化する)
である。
これが釈尊(しゃくそん)の教えであり、
これが釈尊の精神である。

だからこの釈尊の「自覚覚他(じかく-かくた)」、
「上求菩提(じょうぐ-ぼだい)、
 下化衆生(げけ-しゅじょう)」
の大業を生かしていけばいいので、

何も、釈尊(しゃくそん)のまねばかりするのではなく、
釈尊の精神を受け取ってこれを活用しなければならぬ。

いわば前者(小乗)を形式主義というならば、
自由な考え方で行うものがだんだんとできてまいりました。
これが大乗・小乗の岐(わか)れになってきている。

(『禅と陽明学』上巻P69より)

大乗仏教は、インドにおいて、一つの仏教革新運動として現れたそうですが、その目的は、悩める普通の人々、多くの庶民を救いたいという願いにありました。

それを仏教用語でいえば、「上求菩提(じょうぐ-ぼだい)、下化衆生(げけ-しゅじょう)」という大乗仏教の理想になります。

とはいっても、「上求菩提(じょうぐ-ぼだい)」の方は、自らの悟りを得るためにお釈迦さまや先人の教えにしたがって修行をしようという理想ですから、小乗仏教の主眼とするところと同じことです。

それに対して、「下化衆生(げけ-しゅじょう)」は、広く悩める人々を仏教の教えによって救おう、という理想を表す言葉です。この部分を重視するのが、大乗仏教の特徴といえるでしょう。

もちろん、小乗仏教にも、同じような悩める人々を救おうとする慈悲の心があるわけですが、出家と戒律を重視するため、世間と距離ができる傾向がありました。

それをより庶民にとって親しみやすい教えにしようとしたのが、大乗仏教でした。

中国や日本が受け入れたのは、大乗仏教です。その大乗仏教の流れから生まれてきたのが、禅宗でした。

禅といえば、厳しい修行や近寄りがたい雰囲気を感じる方もおられるかもしれませんが、やはり慈悲の心が最も大事なものとされています。

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