『禅と陽明学』より小乗と大乗

2014-02-09

お釈迦さまが、西暦紀元前4世紀にお亡くなりになられてから、仏教も、次第に宗派が分かれてきました。

お釈迦さまから400年ほどたって、キリスト紀元前後になりますと、
大乗仏教という新しい仏教革新運動が起こってきます。

中国やチベット、朝鮮、日本など東アジアにおいては、大乗仏教の流れを受け継いでいます。インドからみて北方に伝わった仏教という意味で、北伝(ほくでん)仏教とも言われます。
それに対して、スリランカからタイ、ミャンマーなど東南アジアに伝わった宗派を南伝(なんでん)仏教とか、上座部仏教(じょうざぶ-ぶっきょう)テーラワーダ仏教などと呼びます。

日本でも人気のあるアルボムッレ・スマナサーラ師は、スリランカ出身のテーラワーダ仏教の長老です。
かつては、南伝仏教を普通に小乗仏教と呼んでいました。
しかし、小乗仏教とは、大乗仏教側からの呼び名であり、見下すような意味が込められているので、現在では、公には使われません。

もともと大乗(だいじょう)とは、大きな乗り物という意味で、自分の救いだけではなく、すべての人間の平等な救済と成仏を説く教えです。

それに対して、小乗(しょうじょう)とは、小さな乗り物という意味で、自己の悟り、自己の救済を第一とする小さな教えであるという大乗仏教側からの批判的な意味が込められています。

大乗仏教の流れにある中国の仏教を受け入れた日本では、伝統的に、小乗仏教は劣った教えとみなされてきました。

しかし、安岡正篤先生は、それとはまったく異なる見解を『禅と陽明学』(プレジデント社)の中で披露しています。

大乗論者は「大乗でなければならぬ、小乗はだめだ」
と考える人が意外に多いのですけれども、
それは間違いであります。

小乗なき大乗などというものはない。
大乗なき小乗などというものは小乗ではない。

大乗・小乗ともに一乗(いちじょう)であるが、
そこが対照の妙でありまして、
深く中に入れば一つであるけれども、
外に表れるところを見れば、
明らかに大乗・小乗というものはコントラストを成している。
(『禅と陽明学』上巻P68より)

安岡先生は、大乗仏教、小乗仏教と別れてはいるが、「深く中に入れば一つである」と言います。

それどころか、「小乗なき大乗などというものはない。大乗なき小乗などというものは小乗ではない。」と、お互いにあい補う関係にあって、両方の考え方を尊重し、学ぶことの大事さを説かれています。

こういうところが、安岡先生の見識の高さといいますか、視野の広さだと思います。

安岡先生は、儒教(『論語』に始まる孔子の教え)をベースにしながら、仏教も深く学んでいます。

安岡先生が中心的に学んだ仏教は、中国や日本に伝わる大乗仏教ですが、それでも小乗仏教を否定的にとらえずに、その優れた面を学ぼうとされています。

このように柔軟な思考で、多面的に幅広く様々な古典から学ばれ、それを自らのものとされたからこそ、安岡先生のご本は、今日でも、読み継がれているのでしょう。

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