『禅と陽明学』(安岡正篤著)について

2014-02-09

続けて、安岡先生は、お釈迦さまの教えの本質を
「愛」と「敬」という言葉で説明されています。

そして釈迦(しゃか)は、人間には「愛」と同時に
「敬」というものがあって、初めて進歩向上するのであるが、
世の中に敬すべき何物をも持たないということの禍(わざわい)を
釈迦は常に論じた。

人はどうして堕落(だらく)を免(まぬが)れ、
どうして解脱(げだつ)することができるか。

常に自分が尊敬し帰依(きえ)する何物かを
持たなければならない。
それを持たないということが人間の一番の禍(わざわい)である。

そこで釈迦は人間に向かって、常に何を尊敬し、
何に帰依(きえ)すべきかということを説いている。
しからば、この釈迦の光明、
偉大なる光のよりどころは何であるかといえば、
 それは、法(ダルマ)である。
(『禅と陽明学』上巻P.54~55)

一般的に仏教は、「智慧」と「慈悲」の教えであるといわれます。
「慈悲」は、他の人の苦しみを除き、楽しみや喜びを与えることを意味し、まさに「愛」に相当します。

仏教でいう「智慧」は、いろいろな修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいいます。禅仏教では、「般若(はんにゃ)」の智慧、分別を絶した「空(くう)」の智慧として説かれています。

「智慧」は、単なる知識ではなく、学問や修行によって体得した見識をいう訳ですが、安岡先生は、智慧を学ぶために最も必要な態度として「敬」ということを強調されたのでしょう。

自分が尊敬し、帰依する教えや師をもたないと人間は堕落してしまい、「さとり」の智慧を得ることなど到底できるものではないという安岡先生の教えは、まことに耳の痛いものがあります。

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