『論語物語』と禅の教え

2014-04-26

『論語物語』は、全体的に素晴らしい教養小説であると思いますが、私としては、禅の教えと直接重なって見える部分に特に共感いたしました。たとえば、以下のような部分です。

『論語物語』p. 30より

子貢、なによりも自分を忘れる工夫(くふう)をすることじゃ。

自分のことばかりにこだわっていては、君子(くんし)にはなれない。

君子は、徳(とく)をもってすべての人の才能を生かしていくが、それは自分を忘れることができるからじゃ。

孔子の弟子の中で、世間的に最も有能で、経済的にも成功したのが、子貢でした。その子貢に対して、孔子が、「自己を忘れる工夫」をせよと教えます。
 なぜなら、徳をもって、まわりの人々を生かしていくためには、自分に捉われない、広やかな心が必要だからでしょう。

この一文を読むと、森信三先生が尊敬された道元禅師の以下の言葉を思い出します。

仏道(ぶつどう)をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。

『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)   
「現成公案」(げんじょうこうあん)より

<現代語訳>
仏道を学ぶということは、自己を学ぶことなのである。

自己を学ぶということは、自己を忘れることなのである

禅仏教においても、自分に捉われない心になることを重視します。完全に自分に捉われない境地を仏教では、「空」(くう)というのだと思います。

心を「空」に近づけることにより、他人への思いやりという「慈悲」の心が育ってきます。「慈悲」の精神こそ、仏教を学ぶ者が目指す目標です。そのためには、まず、自己への捉われから解放され、自己を忘れる工夫が必要になるというのが、道元禅師の教えだと思います。

孔子の「仁」も他人への思いやりの心であり、言葉は違っても、「慈悲」と同じ精神をあらわしています。
『論語物語』の孔子の言葉は、著者の下村湖人先生独自の解釈のように思いますが、私たちの心に深く響く素晴らしい解釈であると思います。

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