あのカモは何だ?

2015-08-29

■世界は自己である(1/2)

そもそも、馬祖(ばそ)と百丈(ひゃくじょう)は、カモが飛び立ったのを同時に見ており、飛び立ったのがカモであることは、馬祖(ばそ)は百も承知です。

それをあえて、馬祖(ばそ)が「あれは何だ?」と問うたのは、カモを見ている百丈(ひゃくじょう)の心がどこにあるのかを問うたのでした。

しかし、百丈(ひゃくじょう)は、自分の心を問われていることに気がつかず、あくまでもカモのこととして「飛んで行きました」と答えたのでした。

そこで、馬祖(ばそ)は、思いっきり百丈(ひゃくじょう)の鼻をねじりあげたのです。

鼻をねじられた百丈は「痛い!」と悲鳴を上げましたが、
この時の百丈(ひゃくじょう)は「忍痛三昧(にんつうざんまい)」といって、ただただ「痛い!」という痛みになりきっています。

そのとき、馬祖(ばそ)が、「そこにおるではないか!」と声をかけたことで、百丈(ひゃくじょう)は自分の心のありかに気がつき、悟りを開くことができました。

もっとも、この時の百丈(ひゃくじょう)は、かなり修行が進んでいました。

あと一歩で悟れるというところまで来ていたので、それを見ていた馬祖(ばそ)は、あえて鼻をねじりあげたといわれています。

誰でも、鼻をねじりあげれば、悟れるわけではありません。

空を飛ぶカモも、野に咲く花も、眼に映る世界は、すべて自分の心の中にあります。なぜなら、私たちは、心で世界を認識するからです。

美しい空や雲を見て素直に「キレイだ」と感じているその心が自己であり、そのとき、世界と自己とがひとつながりになっています。

百丈(ひゃくじょう)は、そのことを悟ったのでした。

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