今東光の毒舌人生相談-その2「ウマの合わない上司」(5)

2013-05-03

孔子は、『論語』の中で、「五十にして天命を知る」と言います。
この「天命」というのが、まさに「人生の意味」、あるいは、「人生の意義・目的」と言えるでしょう。

中国最大の聖人である孔子でさえ、天命を知ったのは、五十歳になってからでした。
『論語』のこの言葉から、50歳のことを「知命」といいます。

私は、現在、51歳ですが、「知命」(天命を知る)というより「知迷」(迷いを知る)の境地です。
まだまだ、迷うことばかりで、いつになったら「天命を知る」と言える心境になれるのか、見当もつきません。

実は、禅の教えは、この「自己とは何か?」という大問題に、独自の角度から一定の回答を与えてくれます。
それは、言葉にできない瞑想体験によって「自己そのもの」を把握するという形です。
特に「見性(けんしょう)」という初歩の悟り体験をすると、「自己の原点」が明確になったような感じがします。

しかし、「見性(けんしょう)」は、「天命を知る」というレベルではありません。「天命を知るための長い旅のスタートラインに立つ」という感覚です。

ですから、旅の途中では、迷うこともたくさんあるわけですが、どうにも道に迷った時に帰るべきスタートライン(原点)は明らかなので、その点だけは、少し安心感があると言えるでしょう。

坐禅であれ、イス禅であれ、ヨガなどその他の瞑想法であれ、瞑想というものは、自己の原点に立ち返るための作業であると考えるとわかりやすいと思います。

考えれば考えるほど迷う時、とりあえず、通常の思考活動を棚上げして、瞑想してみると、心が落ち着いてきます。
そうすると、全く思いもしなかった新しいアイディアや視点に気がつくことがあります。

それほど劇的でなくても、「悩むほどの問題ではなかった」「なんとかなるのではないか」という楽な気持ちになって、当面の対応に取り組めたりします。
これは、禅(ぜん)や瞑想の功徳(くどく)と言って良いでしょう。

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