仏に逢えば、仏を殺せ-3

2013-02-20

順序が逆になりましたが、岡本太郎が取り上げた「仏にあえば仏を殺せ」という言葉の正統的な解説もお伝えしましょう。

臨済宗の名前の由来になった臨済禅師(りんざい-ぜんじ)の有名な言葉に
「仏(ぶつ)に逢(お)うては仏(ぶつ)を殺し、祖(そ)に逢(お)うては祖(そ)を殺す」<『臨済録』示衆(じしゅう)>という言葉があります。
「仏」とは、偉大な悟りを開いた覚者のことであり、具体的には、お釈迦様のことです。後世の経典によって作られた阿弥陀如来(あみだ-にょらい)や薬師如来(やくし-にょらい)、大日如来(だいにち-にょらい)といった「如来(にょらい)」といわれる仏様達のことでもあります。仏道を学ぶ者にとって、「仏」とは最高の存在であり、尊敬すべきものであっても、憎むべきものではありません。

「祖」とは、先祖の「祖」ですが、「祖師(そし)」の略であるとも考えられます。「祖師」とは、仏教で、一つの宗派を開いた人のことです。禅宗の達磨(だるま)、日蓮宗の日蓮、浄土真宗の親鸞など偉大な仏教者であり、開祖とも言います。禅宗の場合は、祖師は、インドから中国へ最初に禅の真髄を伝えた達磨大師(ダルマ-ダイシ)を指すことになりますが、広くとらえれば、祖師達磨(ダルマ)の流れをくむ禅匠たちも「祖師」の流れに属する者ということで「祖」の一人であるといえるでしょう。

禅には「祖師禅」という言葉があり、教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)を主張し、言語や文字によらず、直接師から弟子へ以心伝心で悟りが伝えられる祖師達磨(ダルマ)の流れをくむ禅という意味です。正しい禅の教えを伝える本流であるということを強調する場合に使われる言葉でもあります。
師から弟子へ以心伝心で仏法を伝えることを重視する禅宗では、「祖師」は、仏様と並び称され「仏祖(ぶっそ)」と呼ばれるほど尊敬されています。

そのような尊敬の対象である、「仏」や「祖」と道でであったら、「仏」「祖」を殺してしまえというのが、臨済の言葉です。禅には、逆説的な言葉が多いのですが、逆説を超えて、乱暴極まりない言葉のように聞こえます。
 
 しかし、この言葉は、昔から、偉大な禅語(禅の名言)として大事にされてきました。
 
 日本の臨済宗が設立した花園大学にある禅文化研究所の所長を長く務められた西村惠信師は、上記の言葉について、『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』(禅文化研究所刊)の中で、以下のように解説されています。
「正しいものの見方を持とうとするならば、決して人に惑わされてはいけない。
 自分の内であれ外であれ、出逢うものは直ちに殺せという教えである。危険極まりない臨済禅師の言葉の陰に、人間としての主体性を確立させようという、禅師の熱い慈悲心が隠れているのを、見落としてはいけない。(中略)

 臨済は決して無神論者ではない。彼は門人たちに向かって、お前ら一人ひとりの中に具わっている「一無位の真人」(形なき真実の自己)を見い出せと迫ったのである。この形なき自己は、固定的に存在するものではなく、朝から晩までわれわれの感覚器官を通って、活発に出たり入ったりしているという。

 それこそが「本当の自分」というものであって、それ以外に真実の自己などあり得ないという。従って真実の自己に出逢うためには、自分を惑わせるもの、特に権威をもって自分に迫ってくるものは、たとえそれが仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならないと臨済はいう。」
以上の西村恵心師の解説は、一流の禅僧による正統的な解説です。
これで「仏を殺せ」という禅語の真意は十分に説明されていますが、
芸術家の岡本太郎の言葉は、別の角度から、禅語の深い意味を抉り出して、私たちに教えてくれる見事な現代的解説であると思います。

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