布施(ふせ)し合う中に生きる

2013-10-25

さて、沢木老師の「施しあう生き方」についての内山興正(こうしょう)老師(沢木老師の一番弟子)の解説を確認しましょう。

<参(内山興正老師の解説)>

まことにわれわれが生きてゆくということにおいて、
九十九パーセント九分九厘までは、天地万物一切からの「授(さず)かり」なのであって、あと残りの一厘(りん)だけが、
自分のはからいで貪(むさぼ)るか貪(むさぼ)らぬかの対象となる領域なのじゃないでしょうか。

というのは、生まれてから今日までわれわれが恵まれてきた、空気、光、温度、水などというものは、
これこそわれわれ人間生命が生存するうえで不可欠、根本的なものでしょうが、
これらはすべてまったく恵まれ「授かった」というよりほかはありません。

―これら自分には、何の功績もないのに、宏大無辺に授かり生きてこられたことを思って、この授かり以外の、あと残りの一厘に対する貪(むさぼ)りを少なくし、
せめて自分の微力をささげて一切に施(ほどこ)す気になって生活するとき、
そこに、かえってひろびろとして悠々たる生きる道がひろがっていることを見出します。

沢木老師の一番弟子である内山興正(こうしょう)老師の解説は、相変わらず、明快でわかりやすいものです。

人間の生きている世界は、99%までは、天地万物からの授かりものであり、残り1%について「貪(むさぼ)り」の気持ちを抑えるようにする。それによって、自分の微力をささげて施(ほどこ)す気持ちになると、悠々たる人生が広がると、内山老師は教えてくださいます。

「99%は、授かりもの」ということは、私たちは、本来、一人一人が、実に豊かな存在であるということです。
授かっているものは、各人で微妙に、あるいは大きく異なるかもしれませんが、誰もが、たくさんのものを天から授かっているのです。
内山老師のように、99%を授かりものと見るか、あるいは、99%は努力によって勝ち取るもので、授かっているのは1%だけと見るかは、人それぞれでしょう。
もちろん、努力を重視する生き方が間違っているわけではなく、むしろ真面目で良心的な生き方であると思います。
しかし、たくさん授かっていると感じる人は、少ししか授かっていないと感じる人よりも、平和で豊かな気持ちになれるのではないかと思います。

日常生活、とくにビジネスの世界では、授かっていない部分、つまり努力によって獲得する部分を重視しがちです。しかし、あまりにそれにとらわれると人生が窮屈で苦しいものになります。

順調にいっている時はともかく、逆境にあると、いたずらに自分の努力不足を自分で責める気持ちになりやすく、胃潰瘍やうつ病などストレス要因から健康を害するリスクも高まります。

坐禅のような瞑想や祈りなどは、このような窮屈な発想から人間を解放して、心を広やかにしてくれるものだと思います。

時には自分を捨てる発想をもつこと、貪(むさぼ)るのではなく、布施しあうという観点から世の中を見ることは、現在のような成熟した低成長社会には、いっそう相応しい心の態度ではないでしょうか。
沢木老師や内山老師のような徹底的な禅的生活は、私たち凡人には難しいことですが、その文章は、私たちの心をより広やかにより軽やかにする力を持っているように感じます。

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