本来無一物

2014-05-25

■弘忍(ぐにん)と慧能(えのう)(2/2)

さて、慧能(えのう)は、悟りを開いたことで、禅の教えをさらに深く学びたいと思うようになります。
幸い、経済的に母親の生活を面倒見てくださる方がみつかったこともあって、はるばる弘忍(ぐにん)の禅道場を訪ねました。

慧能(えのう)としては、弘忍(ぐにん)の弟子となって正式に出家するつもりだったのでしょう。

慧能(えのう)と会った弘忍(ぐにん)も、最初の面接で「これはただ者ではない」と認めたようです。

しかし、飛び込みでやってきた人が、いきなり出家できるほど、甘くはありません。慧能(えのう)は、僧侶見習いというべき寺の雑用係(寺男)になりました。

現代風にいえば、中途採用面接を受けたが、すぐに正社員(僧侶)にはなれず、まずは、非正規社員(寺男)として採用されたというところでしょうか。

慧能(えのう)は、700人の修行僧が毎日食べるお米をつく「米搗(つ)き部屋」に配属されました。

米搗(つ)きとは、玄米をついて白米にする作業です。現代ならば、機械で簡単にできる作業ですが、1千年以上前の慧能(えのう)の時代は、足ふみ式の臼(うす)で人がついたそうです。

寺男となった慧能(えのう)は、毎日何時間も、ひたすら米搗(つ)きを続けていました。米搗(つ)き三昧(ざんまい)になって、自分の悟りを深めていったのでしょう。

坐禅を「静中の工夫(くふう)」というのに対して、掃除や農作業などの仕事を「動中の工夫(くふう)」と言います。
心を込めて、一心不乱に「動中の工夫」(仕事)に打ち込めば、坐禅以上の功徳(くどく)があるといわれています。

さて、慧能(えのう)が、弘忍(ぐにん)の禅道場に来て、8ヶ月ほど経ったときに、禅宗史上に残る大事件が起きました。
「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」という大変有名な禅語の出所となったできごとです。

「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」とはどのような事件をきっかけに生まれた言葉であり、どのような境地をいうのでしょうか?

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