無門関第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」<その2>

2014-07-21

これに関して、思い出されるのは、江戸時代に臨済宗を中興した白隠禅師(はくいん-ぜんじ)の逸話です。

白隠(はくいん)は、最初の「見性(けんしょう)」をされた後、「過去300年間で自分ほど痛快に悟ったものはおるまい」という傲慢な気持ちになりました。「悟り」が大きかった分、より重度な「お悟り病」になられたようです。

もし、そのまま自己満足に浸っていたら、臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師(はくいん-ぜんじ)はいなかったでしょう。ただの田舎の禅僧で終わったと思われます。

しかし、白隠(はくいん)は、さらに高みをめざして修行を続けていきました。やがて、信州で正受(しょうじゅ)老人とよばれる道鏡慧端(どうきょう-えたん)禅師に出会います。

その最初の問答で、白隠は、正受老人から鼻を思いっきりひねりあげられ、「穴倉坊主!」とののしられました。正受老人は、白隠が、「お悟り病」に陥っているのを見抜いたのです。
それから、数か月、白隠は、正受老人に参禅するたびに、ののしられ、縁側から蹴落とされと、徹底的にたたかれて修行を深めていきました。
そして、ついに、町に托鉢に言った途中で、ふとした機縁から徹底大悟して、正受老人の法をついだと伝わっています。

最初の「見性(けんしょう)」をするだけでも、私たち凡夫には、十分に大変なことです。しかし、禅の悟りの世界は、さらに深く高いものがあることを白隠禅師(はくいん-ぜんじ)の逸話は教えてくれていると思います。

無門和尚(むもん-おしょう)のいう「達磨(だるま)と顔を突き合わせて」しかも「自己と達磨(だるま)とが二人にならない(一つのごとしである)」という悟りの境地は、大変高く深いものがあります。
白隠禅師(はくいん-ぜんじ)が、この公案を大いに評価しているのも、なるほどと納得できる気が致します。

さて、最後の「頌(じゅ)」という禅的な漢詩については、次回以降に書いていきます。

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