無門関第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」

2014-07-27

中国人は、古代から「詩」を大事にしてきました。『論語』の主人公である孔子(こうし)は、2500年前に活躍された方ですが、その時代にすでに古代の詩をあつめた詩集(『詩経』)がありました。
孔子の学園では、「礼・楽・詩・書」が主要科目で、詩を学ぶことが大変重視されていました。

その後、唐の時代に、李白(りはく)や杜甫(とほ)など大詩人が輩出して、日本の国語の教科書にのるような有名な漢詩がたくさん作られました。

その後も、近代になって最後の王朝である清(しん)が革命によって倒れるまで、中国における文学活動の中心は「漢詩」でありました。

近代以後、特に戦後の共産革命によって中華人民共和国が誕生してからは、近代以前にくらべて中国文学における「漢詩」の地位は下がってきているようです。

それでも、共産革命を指導して建国の父となった毛沢東(もうたくとう)は、近代最大の詩人のひとりといわれています。
毛沢東は、晩年、文化大革命によって中国社会を大混乱に陥れましたので、政治家としての評価は難しいものがあります。むしろ、詩人としての評価の方が後世に残るのではないかという歴史研究者もいるほどです。

さて、このように「漢詩」を大事にする中国文化圏で発達した禅仏教においても、「漢詩」は重んぜられています。禅の悟りの境地をうたった漢詩を「頌(じゅ)」と呼びます。『無門関』においても、各則の最後には、必ず無門和尚による「頌(じゅ)」が添えられています。

もっとも、本格的な漢詩の多くが、厳格なルールに従った「定型詩」であるのに対して、「頌(じゅ)」は、文学的な出来栄え以上に悟りの内容が大事なので、日本でいう「自由詩」のような感じです。

当時の俗語が使われていたり、一句の長さも様々だったりと、自由な歌いぶりが、禅の世界を良く表現しているように思います。

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