無門関第38則「牛が窓をとおる」

2014-08-10

まず、第38則の主人公である五祖法演禅師(ごそほうえん-ぜんじ)から修行者(および読者)に向けて投げかけられた本則(公案)から確認していきましょう。

<本則:原文>

 五祖(ごそ)云(いわ)く、

  たとへば水牯牛(すいこぎゅう)の

窓櫺(そうれい)を過ぐるが如(ごと)し。

 頭角(ずかく)四蹄(したい)、
 都(すべ)て過ぎ了(おわ)るに、
 甚麼(なん)に因(よ)ってか、
 尾巴(びは)、過(す)ぐることを得ざる?

<本則:現代語訳>

五祖(ごそ)が言われた、

「たとえば水牛が通り過ぎるのを窓の格子越しに見ていると、
頭、角(つの)、前脚(まえあし)、後脚(うしろあし)と
すべて通り過ぎてしまっているのに、
どういうわけで尻尾(しっぽ)だけは
とおり過ぎないのだろうか?」
(岩波文庫・西村恵信訳より)

五祖とは、五祖山(ごそさん)に住した法演(ほうえん)禅師のことです。中国臨済宗中興の祖といわれる大禅匠です。
さて、あるとき、五祖法演禅師(ごそ-ほうえん-ぜんじ)が、弟子に向かって禅的な問い(公案)を投げかけました。

「窓の向こうの道を牛が歩いて通り過ぎていくのを見ていると想像してみろ。

まず窓の向こうに牛の頭が見え、角(つの)が見え、身体と前脚(まえあし)が通り過ぎる。つづけて、後ろ足とお尻が通り過ぎ、最後に尻尾(しっぽ)が通り過ぎていく。

しかし、なぜか、「尾巴(びは)」<尻尾(しっぽ)の先>だけが通り過ぎることができない。

いったいどうして、「尾巴(びは)」<尻尾(しっぽ)の先>が通り過ぎることができないのか?」

この公案では、「牛」を私たち人間の心の全体に例えているといいます。それにしても、「尻尾だけが通り過ぎることができない」とは、奇妙なたとえ話です。

『無門関』の解説書によると、この話は、もともと、インドでできたお経に似たような例えがあるそうです。

『仏説給狐長者女得度因縁経』という長い名前のお経の中に、王様の見た夢の話として出てくるようです。

『因縁経』によれば、王様の夢の中で、大きなインド象が、宮殿の窓から出ようとしたところ、頭も体も足も窓から出たのに、尻尾(しっぽ)だけが引っかかって、どうしても出られなかったといいます。

インドでは、インド象が人々の身近にいる体の大きい動物の代表でしたので、『因縁経』では、象の話になっています。中国には象はいませんが、水田を耕すのに、牛を使っていたようで、身近にいる体の大きい動物の代表が牛だったのでしょう。そのため、『無門関』では、象が牛になっています。

 仏教の教えを学んで、出家して修行したとしても、心の中にある名誉や利益への執着心はなかなか捨てることができない、そのことの象徴が、引っ掛かるはずがないにに、なぜか窓に引っ掛かる象の尻尾でした。

 そのような名利への執着が残っているかぎり、本当の解脱(げだつ)をすることはできないということです。

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