無門関第38則「牛が窓をとおる」

2014-08-10

世俗にいきるビジネスマンにとって、名利への執着は、ある意味、生きるためのエネルギー源になります。

「もっと世間から評価されたい、もっとお金を稼ぎたい」という意欲があるから、仕事で頑張れるという面が、多々あるでしょう。
 しかし、あまりに名利に執着しすぎると、そのために失敗することもあります。世の中は、自分だけで成り立っているわけではなく、多くの人とのかかわりの中で生きています。
 大成功して、一人勝ちになって、恨みやねたみを買うこともあるでしょう。そうでなくても、無理をして、引くべき時に引くことができず、大負けすることもあります。

明治の文豪・幸田露伴(こうだ-ろはん)は、成功の秘訣として

「福をおしむ」<惜福(せきふく)>

「福を他人に分かち与える」<分福(ぶんぷく)>

の工夫が大事であると書いています。

これは、名利への執着心を適度にコントロールすることの重要性を具体的に教えてくれているものだと思います。
  
名利への執着心をどのようにコントロールしていくかは、より良い人生をいきるために大事なテーマであると思います。
 しかし、『無門関』の公案で、五祖法演(ごそ-ほうえん)禅師が伝えようとしているのは、そのような「名利への執着心を捨てろ」という話ではありません。

 まったく次元の異なる禅の悟りの世界そのものを伝えようとしているのです。

『無門関』の提唱録によれば、法演(ほうえん)禅師のいう「尾巴(びは)」=「牛の尻尾」とは、どんなに否定しようとしても否定することができない「仏性(ぶっしょう)」のことです。

「仏性」とは、「本来の面目」とも、「無字」とも、「片手の声」とも言われます。

それをしっかり悟ることが、禅の眼目です。そのためには、「名利への執着心」さえも、心の栄養にして、悟りへのエネルギー源にして行こうというのが禅の発想法です。

いわば「心の雑草」も、立派な肥やし(肥料)にして行こうというものです。
 
悟りの世界がある程度わかってきたら、その程度に応じて、利他行(りたぎょう)という社会貢献の活動が修行となってきます。
そうなると、なおさら、「名利への執着心」というエネルギー源を前向きに活用する必要が出てきます。

その意味では、禅の修行はビジネスと同じ要素がたくさんあるように思います。

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