無門関第45則「他是阿誰(たぜ-あた)」

2014-08-06

つづけて宗演(そうえん)禅師は、「頌(じゅ)」の後半の二句

「他人の落度(おちど)は、言ってはならぬ、
他人のことは、知ってはならぬ。」

について、次のように書かれています。

「他の是非(ぜひ)を語る者は、
また、これ是非(ぜひ)の人で、
棚(たな)に上げてある自分を
引きずりおろして調べてみるがよい。

何でも、自分のことさえ分かればよいのだ。
人の顔の批評はやめて、自分の顔の墨を洗うがよい。」

(釈宗演『無門関講話』平凡社版全集より)

「他人の批評や批判をしていないで、自分がどうかを反省せよ。」
と宗演禅師(そうえん-ぜんじ)は語りかけます。

禅では、「己事究明(こじきゅうめい)」といって、自己探求を何よりも重んじます。

宗演禅師(そうえん-ぜんじ)は、そのことを「何でも、自分のことさえ分かればよいのだ。」と端的に指摘されています。

どうも、私のような小人は、ついつい他人の批判に熱中してしまうことがあります。
時には、単なる悪口を言うことに夢中になって、しかも悪口をいうことに快感を覚えている自分の姿に、後で気がついてゾッとすることがあります。

そのようなことをしていると、いつの間にか、自分の顔の汚れにも気がつかないような鈍感な人間になってしまうのでしょう。

他人のあらばかり見えて、自分がなかなか見えないというのは、人間の性(さが)かもしれませんが、本当に恐ろしいことです。

『無門関』の「他是阿誰(たぜ-あた)」の則について学んで見て、あらためて、自分を深く反省しなければいけないと感じた次第です。

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