無門関第45則「他是阿誰(たぜ-あた)」

2014-08-03

『無門関』(むもんかん)は、13世紀の中国で無門和尚(むもん-おしょう)によって書かれた禅の古典です。

当時の中国は、宋(そう)の時代ですが、宋代は、ある意味、中国において禅宗が最も輝いた時代といえるでしょう。

宋の時代に『碧巌録(へきがんろく)』『無門関(むもんかん)』『従容禄(しょうようろく)』など、禅門を代表する公案集が古典として成立しました。これらの本がなければ、禅宗はずいぶんと寂しいものとなったことでしょう。

また、その時代に、日本から多くの僧侶が中国に留学し、日本に禅宗を伝えました。栄西(ようさい)や道元(どうげん)などがその代表です。

中国から日本に伝えられた禅は、日本で磨き上げられ、明治以降、日本から欧米に輸出されました。現代においては、お寺の数ではともかく、一般市民のレベルではアメリカやドイツやフランスの方が、日本より禅が盛んといってもよいほどになっています。

さて、宋代の中国は、臨済宗が大いに栄えましたが、そのきっかけとなり、中国における臨済宗中興の祖といわれたのが、五祖法演(ごそ-ほうえん)禅師(ぜんじ)です。

五祖とは、本来は、達磨大師(だるま-だいし)から数えて五代目の祖師という意味です。

実際の五代目の祖師は、唐の時代の五祖弘忍(ごそ-ぐにん)禅師ですが、その弘忍(ぐにん)がいた山が、五祖山(ごそさん)といわれています。

法演(ほうえん)禅師は、その五祖山のお寺に住して、大いに活躍されたので、五祖(ごそ)とあだ名されたのでした。五祖山(ごそさん)は、東山(とうざん)ともいわれたので、法演(ほうえん)のことを東山(とうざん)禅師と呼ぶこともあります。

さて、五祖法演(ごそ-ほうえん)禅師の法系は、その後も大いに栄え、『無門関』の著者である無門和尚(むもん-おしょう)も、法演(ほうえん)禅師の五代目の法孫に当たります。

さらに五祖の法系は、日本にも伝わり、今日の日本の臨済宗は、五祖法演禅師の直系の法孫になります。

宋代の臨済禅を大いに盛んにして、後世まで大きな影響を与えた五祖法演(ごそ-ほうえん)禅師には、無門和尚(むもん-おしょう)も大変尊敬されていたようです。

そのため、『無門関(むもんかん)』48則のうち、4則は、五祖法演(ごそ-ほうえん)禅師の公案です。

今回は、その中から、「他是阿誰(たぜ-あた)」の公案をご紹介いたしましょう。

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