禅の効用⑨ 「心に対する効果」-1

2013-01-13

(1)自己発見・自己超越の効果

人間は、日常生活の大部分の場面で、自我によるエゴによって生きています。このようなエゴを仏教では煩悩(ぼんのう)といいます。

エゴというのは、基本的な生存欲求に根差していますから、一概に悪いものではありません。過剰でなければ、生きる気力につながります。しかし、エゴに振り回されると、次第に心が疲れ、病んできます。

心の中が怒りや妬み、貪欲さなど暗い感情でいっぱいになっているときは、エゴに振り回されているといってよいでしょう。そのような時、人は「高次の自分」を見失っているのです。

禅では、誰もが「仏性(ぶっしょう)」という「高次の自分」を持っており、可能性としては、修行によって、誰でもお釈迦様と同レベルの境地になれるというのが基本的な考えです。

お釈迦様のレベルまで行ける人は、めったにいないと思いますが、誰でも、毎日、10分なり20分なり坐禅をすることによって、心の奥底に潜んでいる「高次の自分」が次第に目覚めてきます。

その結果、心が穏やかになり、それでいて、洞察力や創造性が高まるなど、心の活性化作用が現れます。これは、ふつうは、1か月から3か月程度でも毎日イス禅をすれば、誰もが感じ取ることができる効果です。

坐禅をすることによる「心への効果」をいいかえれば、「悟り」に近い体験をするということです。

「悟り」とは、坐禅を通して、無意識の世界に関する認識が深まり、普段では気が付かなった「高次の自分」に気が付き、それに即して生きられるようになるいということです。この「高次の自分」を禅では「仏性(ぶっしょう)」といいますので、「仏性を見る」という意味で、最初のレベルの「悟り」体験を「見性(けんしょう)」といいます。

「仏性」は、本来、誰もが心の中に持っているものですが、通常は、その存在すら忘れています。そういう尊い仏性が自分の中にあることをはっきりと体験的に知ることが、最初の「悟り」つまり「見性(けんしょう)」です。

しかし、禅の「心への効果」については、「見性」とか「悟り」にこだわらなくても、普通に、坐禅やイス禅を毎日10分から30分程度行えば、十分な効果が得られます。イス禅によって、心が澄んでくるのです。

たとえば、禅僧の脳波を研究された平井富雄先生は、ご自分でも、鶴見の総持寺(そうじじ)という永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山の坐禅会に熱心に参加されていますが、その時の体験をこのように記されています。

「わたしは(総持寺からの)帰りの電車の中で、何ともいいようのない新鮮な心を自覚した。窓外をよぎるごくふつうの風景が、はっきりと美しく見え、頭の<たが>が解け、気力が手足の先々まであふれている、たしかにそんな気持であった。恍惚(こうこつ)とか、陶酔(とうすい)とかいうのでもない。強いていえば、「全身が洗われたような、落ち着いた新鮮さ」だったように思い返されえる。」
(『座禅の科学』講談社80ページより引用)

 この平井先生の体験談は、典型的な禅体験といってよいでしょう。坐禅に体がなじんで、丹田呼吸ができるようになると、しばしば体験することです。
 特に何気ない街の風景がとても美しく見えるというのは、一番わかりやすい効果です。禅によって心が澄んで、人間が本来もっている豊かな感性を取り戻している状態をよく示していると思います。

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