禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(12)開催致しました。

2015-03-25

2015年3月23日に禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(12)開催致しました。

今回の流れと致しまして
誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習致しまして、その後、『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話をご紹介致しました。
そこで、「独坐大雄峰(どくざ-だいゆうほう)」:大雄峰に一人坐っておるというお話をして頂き、そこのポイントとなる点が非常にビジネスマンにも役立つのではと思いご紹介させて頂きます。
<ポイント>
1.「どうしても捨てきれないモノは何か?」という「引き算の発想」
2.「自分で自分に問う」ことにより「内面の声」を確認する
3.「自分が自分らしくある」こと以上に尊いものはない

この、「どうしても捨てきれないモノは何か?」を考えるというのは、仕事を行なう上で今しなければならないことを決める為にとても必要なものだと思います。

このような事を、私たちが行なう勉強会では、イス禅を行ないながらお伝えをしています。
誰でも気軽に出来ますのでご興味がありましたら、是非ご参加ください。

「独坐大雄峰(どくざ-だいゆうほう)」:大雄峰に一人坐っておる

■この世で一番尊いもの(1/2)

8世紀の中国で活躍された百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は、禅宗の基礎を作られた偉大な禅僧の一人です。百丈(ひゃくじょう)には、有名なエピソードがいくつかあり、今日でも、公案(こうあん)という禅の問題として、禅道場で学ばれています。

本日は、その中でも、特に有名な「独坐大雄峰(どくざ-だいゆうほう)」というお話を紹介いたしましょう。「独坐(どくざ)」とは、「独り坐っている」という意味で、「大雄峰(だいゆうほう)」とは、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)が禅道場を構えていた百丈山(ひゃくじょうさん)にある峰の名前です。

ある日、一人の修行者が、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)に対して、「奇特(きどく)なことは、何でしょうか?」と質問しました。「奇特(きどく)」とは、「特別変ったもの」という意味で、「この世の中でいちばん尊いものはなんでしょうか?」という意味の禅的な問いです。

「何を尊いと考えるか?」は、その人の価値観をあらわにするテーマです。ある人は「お金」と答え、ある人は「名誉」と答え、また別な人は「家族」とか、「健康」とか答えるかも知れません。100人いたら、100通りの答えが考えられる問いです。また、何が正解とも決められない問いでもあります。

日常生活の中では、じつは、最も尊いものは決められないのが本当でしょう。「お金も仕事も大事だし、家族や友人も大事だし、自分の健康も大事だし・・・」という具合に色々なものを大事にしながら生きているのが私達の普通の姿でしょう。

しかし、禅問答においては、常に「最も本質的なものは何か?」と鋭く突きつめます。「あれも、これも、それも、みんな大事だ」というあいまいな答えでは許されず、色々とある中で、「何が一番本質的で、何が一番大事なのか?」と唯一の答えを要求されます。

このような突きつめた問いに答えるには、「足し算の発想」では答えられません。「引き算の発想」をして、「いろいろなものを捨てて行って、捨てても、捨てても、捨てきれないモノは何か?」と自分で自分に問うことが求められます。教科書に答えを求めずに、自分の内面の声に答えを求めるのも、禅の特徴です。

このような「引き算の発想」と「自分の内面の声」を大事にする姿勢は、現代のようにモノも情報もあふれている中でビジネスをする上で、きっと役に立つことでしょう。

あれもこれも欲張って追求すると、しばしば、どれもが中途半端になり、目的を達成できないことになります。企業として、あるいは個人として、本当に大事にしたい価値にしぼって追求することが、ビジネスにおいて成果を挙げるコツではないでしょうか。

さて、「この世で、何がいちばん尊いのでしょうか?」という厳しい問いに対して、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は、何と答えたのでしょうか?

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