禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(21)開催しました。

2015-12-20

2015年12月14日禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催しました。

この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。

『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話を解説頂きました。

2.悩みは成長の原動力

■わざと無視するダルマ(1/2)

今日は、達磨大師(だるま-だいし)の後をついだ中国の禅宗第二祖(にそ)、つまり、中国で2代目の偉大な禅者である慧可(えか)とのエピソードです。

 

達磨大師(だるま-だいし)が少林寺にこもってから9年がたちました。いつしか、少林寺にインドから来たすごい禅僧がいるらしいとのうわさが広く伝わりました。そのうわさを聞いて、ワラをもすがる思いで、少林寺に禅の教えを受けようとやってきたのが、慧可(えか)でした。

そのころの慧可(えか)は、仏教の教えを広く研究し、学問的には高度の理解を持っていたといわれます。しかし、現代的に言えば、ノイローゼか、うつ病というべき、底知れない不安感に悩み、苦しんでいました。

いくら既存の仏教を研究しても解決できない心の悩み、苦しさに、最後の望みを新しい禅の教えに託して、少林寺にやってきたのでした。12月9日のしんしんと雪の降る寒い晩であったといわれます。

 

しんしんと雪の降る12月9日の晩、少林寺の達磨大師(だるまだいし)はいつものように岩窟の中で壁にむかって坐禅をしていました。深い洞窟ではなく、そとから達磨大師の姿が見えるほどの浅い岩窟ですが、雪は避けられたようです。そろそろ休もうかという頃、若い中国人の僧侶である慧可(えか)が、達磨大師(だるま-だいし)のいる岩窟の前につきました。

慧可(えか)は、「お願いいたします」と声をかけますが、達磨大師(だるま-だいし)は、当然気が付いたものの、わざと聞こえぬふりをして、坐禅をしています。何回か、慧可は声をかけましたが、無視されてしまいます。これは、達磨大師による一種の入学試験でした。慧可(えか)のやる気のほどを確かめようと思われたようです。

やる気のないものや、中途半端な者であれば、声をかけて無視されたら、あきらめて帰るところです。すくなくとも、今日は都合が悪いのだろうと考えて出直すところでしょう。

 

しかし、慧可(えか)は、心の中に底知れぬ不安感を抱いており、それに苦しめられていました。また、もともと宗教的素質が高かったようで、達磨大師(だるま-だいし)に試験されていることに気が付いたようです。

おそらく、達磨大師(だるま-だいし)が坐禅をする後ろ姿に、後光(ごこう)がさすような高貴で偉大なオーラを感じたのでしょう。達磨大師の偉大さを直感的に理解した慧可(えか)は、ひたすら寒さに耐えて、達磨大師の坐禅が終わるまで待つことにしました。

 

しかし、待つといっても、達磨大師(だるま-だいし)のいる岩窟は小さなもので、2人も入れる余裕はありません。慧可(えか)は、青年らしい純情さで、岩窟のすぐ外側の屋根のない部分、すなわち、降りしきる雪の中で立ってお待ちすることにしました。

 

さて、そのあとで、禅宗史上、最も劇的な対話がなされます。達磨大師(だるま-だいし)と慧可(えか)の間でどのような問答がなされたのか? 続きは、先をお読みください。

しんしんと雪のふる寒い晩に、暖房もなければ、外から囲われてもいない岩窟の中で壁に向かって坐禅する達磨大師(だるま-だいし)も、たいそう寒かったことでしょう。それ以上に岩窟の外、降りしきる雪の中で、達磨大師が振り向いてくれるのをひたすら立って待ち続ける慧可(えか)は、大変なつらさであったと思われます。

 

そのまま数時間が過ぎて、降り積もる雪が慧可(えか)の腰をうずめたと、禅の歴史書には伝えられています。雪の中で全身が凍りつくような苦しさと、無視され続けている情けなさと、それでも達磨大師(だるま-だいし)に救いを求める熱い気持ちが一つになって、慧可(えか)のほほを涙がしたたり落ちます。その涙が地面に落ちる途中で凍るほど寒かったと描写されています。

 

このあたりは、伝説的な大げさな表現で、実際には1時間程度だったのではないかと私は勝手に想像しています。そうとでも考えないと、慧可(えか)があまりにかわいそうだからです。(事実はよくわかりません。)

さて、何時間か後に、やっと達磨大師(だるま-だいし)は、慧可(えか)の方を振り向いて「お前は、いつまでも雪の中に立っているが、何しに来たのだ?」と声をかけてくれました。

 

慧可(えか)は、よほどうれしかったのでしょう。つい、良いかっこをして偉そうな答えをしました。「どうぞ、禅の教えを説いて、多くの悩める人々をお救いください。」と言ったと伝えられています。

それを聞いた達磨大師(だるま-だいし)は、「多くの人を救おうなどとは傲慢な奴だ。そのようなおごり高ぶった人間は、厳しい修行に耐えられない。このまま帰れ!」ときびしく突き放したのでした。

仏教の理想は、「衆生済度(しゅじょう-さいど)」といって、あらゆる人々を救おうというものです。慧可(えか)の答えは、仏教大学の入学試験ならば、文句のつけようのない満点答案でした。しかし、達磨大師(だるま-だいし)は、その答えをただちに否定したのです。

 

寒さの厳しい12月に、雪の中を何時間も立ち尽くして、やっと振り向いてくれたかと思ったら、はげしく叱られて「お前みたいな奴は帰れ!」とはねつけられたのですから、慧可(えか)の心中は、如何ばかりだったでしょうか。

おそらく、悲しみに胸の張り裂ける思いがしたに違いありません。思い余った慧可(えか)は、このまま死んでもよいと思ったようです。

 

「私は真剣です。どうか、(禅の教えで)私をお助けください」と叫び、護身用の刀で自分の左腕をヒジから切り落として、血のしたたる左腕を達磨大師(だるま-だいし)にささげました。それを見た達磨大師は、ようやく慧可(えか)の弟子入りを許したと伝えられています。

 

もちろん、これも伝説であり、歴史的事実ではないでしょう。私の勝手な想像ですが、真剣さを伝えるため、慧可(えか)は自分のヒジのあたりを刀で傷つけて、血判かわりに流れる血を達磨大師にお見せになったのではないでしょうか。(事実は分かりません。)

 

それよりも問題なのは、「多くの悩める人々をお救いください」という最初の模範解答は落第なのに、「私をお助けください」という一見エゴイスティックにも聞こえる心の叫びが、なぜ合格なのか?ということです。

慧可(えか)の本音は、「自分の悩みや不安や苦しみを解決したい」ということでした。恥も外聞も捨てて、その思いになりきったとき、達磨大師(だるま-だいし)は、慧可(えか)の真剣さを認めたのです。

 

「他人を救おうなどと、大それたことを考えなくてもよい。まずは、自分の悩みを解決せよ」と達磨大師は、無言のうちに慧可(えか)に教え諭したのでした。

理屈を言えば、自分を自分で救えないものが、他人を救う力はないということです。まず、自分を救うための努力や修行をして、力をつけてから他人を救う方に行かないと、あぶはち取らずになってしまいます。

 

しかし、達磨大師の態度は、そのような理屈を超えています。「自分をごまかさずに、本音そのものになって、ひたすら自己の救いを求めよ。そうすることによって道は開ける」ということです。

 

ビジネスの世界でも同じではないでしょうか。

松下幸之助氏(パナソニック創業者)は、

「人には燃えることが重要だ。 燃えるためには薪(たきぎ)が必要である。

薪(たきぎ)は、悩みである。悩みが人を成長させる。」

と言っています。

悩みから逃げずに、それを解決しようとあきらめずに努力すること、それが人を成長させてくれるのです。ひいては、ビジネスの成功にもつながることでしょう。

 

達磨大師(だるま-だいし)と慧可(えか)のエピソードは、「悩みから逃げずに、素直な気持ちで悩みと向き合いなさい。そうすれば、かならず救いの道が開けてくる」という教えとして受け止めたいと思います。

<ここがポイント>

1.悩みから逃げないこと。

2.悩みは人を成長させてくれる。

3.素直な気持ちで悩みに向き合えば、必ず救いの道が開ける。

 

 

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