第二十則「大力量人」(解説その2)

2014-06-30

最後に、「頌(じゅ)」という公案の精神を漢詩にした部分について解説します。

「脚(あし)をあげては 海を蹴(け)り、

頭(こうべ)を下げては 天を見る。」

まず、最初の2句は、この世のものとも思えない、すごい巨人のことをうたっています。

「太平洋のような大きな海を一蹴りでまたぎ、
頭をうつむくと、雲の浮かぶ空が、自分の下に見おろせる」
という巨人をうたっています。

物理的、生物学的に、このような巨人は存在しませんが、これは、あくまで禅の悟りの精神世界を比喩的に表している言葉です。

禅の修行によって、小さな自分への捉われから解放されるにつれて、
心が広く大きくなり、ついには、宇宙と一体というほどの大きく広やかな心になる、という意味でしょう。

「海をひとまたぎにして、空を見下ろす」ような精神的巨人になることは、私たち凡夫には、難しいことです。

しかし、禅など瞑想を日々の生活の中で、3ヶ月でも習慣的に実行していくと、次第に、心が広やかに、伸びやかになることは、誰でも体験できることです。

無門(むもん)の言葉は、「修行の行き着いた先には、宇宙大の精神を持てるぞ!」と禅の修行者を励ましているのだと理解しておきましょう。

「置き場がないよ このからだ」という、第3句は、巨人の立場になっての言葉です。

「海をまたぎ、空を見下ろす」ような巨人がいたら、この地球に身の置き所がないでしょう。地球に身の置き所がないということは、大きさとしては、地球と一体という意味です。

それと同じように、禅の修行を極めれば、宇宙大の心になり、自他の差に悩むことが無くなります。
そうなれば、置き場がないどころか、あらゆる所が、心の置き場になります。

禅の世界では、あえて反語的、否定的に表現する歴史的伝統がありますので、あえて無門は「置き場がない」と書いているのでしょう。

 「修行が進めば、心の置き場に困ることはない。いつでも、どこでも、自由闊達(かったつ)な境地になれる」という意味に理解しておきましょう。

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