精一杯の花を咲かせた堂々たる人生

2014-01-01

内山老師の解説も、最後のまとめのところにきました。競争社会といわれる現代の状況を踏まえて、次のように教えてくださいます。

<内山興正(こうしょう)老師の解説-6>

今の時代何から何まで、生存競争の世の中で、
他とのセリ合いばかり考えているでしょう。

しかし本当の生き方というのは、
そんな他とのカネアイの話ではない。

自己ぎりの自己で、自分が自分を自分するだけです。

しかも、その自己は、宇宙一杯、
宇宙とぶっつづきの自己である。
だから「出逢うところわが生命」。

なんにもならないところで、
しかしながら、本当の純粋自己の生命力としてただする
―そういう自己で生きたいですね。

そうすれば、なにも勝った敗けたで、泣きべそかいたり、
あるいは、幸福はよいが不幸はいや、
というので逃げたり追ったりする、
そんなウロウロした生き方をしなくてもいい。

本当に堂々と、天地一杯の自己、
その生命力で真っ直ぐに生きてゆく
―こういう生きる態度こそが一番大切です。

私たち凡夫は、つい「生存競争の世の中で、他とのセリ合いばかり考えている」ような生き方になってしまいます。

現代は、誰もが経済的な成功を求めて競争しているような社会です。一人ひとりは、そのように意識していなくても、経済全体が競争状態になっていますから、いつの間にか、競争に巻き込まれてしまうことが多いでしょう。

その中で、他人との背比べにヘトヘトになって、胃や心臓を悪くしたり、「うつ病」などの精神疾患になったり、最悪の場合は、自殺という痛ましい結果になったりする方がたくさんおられます。

そのような競争社会から私たちを精神的に救ってくださるのが、
「祇管打坐」(しかん-たざ)の坐禅です。

ただ坐禅することに打ち込む時間を持つことで、次第に私たちが本来持っている「純粋な自己の生命力」が目覚めてきます。

本当に深く「純粋な自己の生命力」が目覚めれば、
「堂々と、天地一杯の自己、その生命力で真っ直ぐに生きてゆく」という態度で人生を生きていけると、内山老師は言われます。

そうなれば、「勝った敗けたで、泣きべそかいたり」、「幸福はよいが不幸はいや、というので逃げたり追ったりする、そんなウロウロした生き方」から脱却できることになります。

このような他人との競争に振り回されない生き方こそ、本当の意味で「堂々とした人生」なのではないでしょうか。

そのような人生を生きるためには、まず、拠り所となる「自己」をしっかりとつかむことが必要であり、そのための方法論が坐禅なのだと思います。

私たち凡夫にとっては、簡単にはたどり着けない境涯ですが、山登りのように一歩一歩登っていく過程に意味があるという内山老師のお言葉を信じて歩んでいきたいものです。

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