非思量(人間的思わくをはずした世界)

2013-11-16

「日日是れ好日」(にちにち-これ-こうにち)という境涯について、沢木老師は、浄土教のアミダさまを例に出して別角度からの説明をされています。

<法句(沢木老師の言葉)-3>
アミダさまのほうからは

『おおそれでよし。よし。
迷った衆生は一人も居らぬ。アセアセするな』
というておるのじゃが、

衆生(しゅじょう)のほうでは、
『いや、これではいかぬ』
とワンワン泣きわめいておる

「アミダさま」とは、阿弥陀如来(あみだ-にょらい)のことです。
アミダさまは、慈悲の権化のような存在で、法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)の浄土教が本尊と仰ぐ仏さまです。

浄土教の教えによれば、迷える衆生(しゅじょう)が、アミダさまを信じて、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を唱えれば、死後に極楽浄土(ごくらく-じょうど)に救い取ってくださいます。

この世において重罪を犯した悪人でさえ、アミダさまを信じるだけで救ってくださるという浄土教の教えは、禅仏教などの厳しい修行をする経済的、時間的余裕のない庶民にとって、最大の救いでした。
戦国時代から江戸時代を経て、今日に至るまで、日本では、浄土教に属するお寺が一番多く存在することがその証拠と言えるでしょう。

禅仏教では、ご本尊は、お釈迦(しゃか)さまですが、日本の庶民にとって、鎌倉時代以来、最大の救い主は、アミダさまでした。
沢木老師は、そのような庶民の信仰の伝統を踏まえて、「サムシンググレート」(神さま・仏さま)の代表として「アミダさま」の名前が使われているのだと思います。

私たち「衆生」(しゅじょう)は、常に現実に不満をもち、時には、極度の不安や絶望に襲われて、「これではいかぬ、とワンワン泣きわめいておる」ようなことになりがちです。
それに対して、アミダさまに代表されるサムシンググレートの側から見れば、全ての人に対して、救いの手が差し伸べられています。

可能性としては、全ての人がすでに救われているといえる状態なので、「それでよし。よし。迷った衆生は一人も居らぬ。」ということになります。
何も焦ることも騒ぐこともないので、「アセアセするな」と呼びかけてくださっているというのです。

ただひたすらに、アミダさまの救いの手に自分を委ねていくという浄土教の教えは、表面的には、自力の修行、自分の努力を重視する禅仏教の教えと正反対に見えます。

しかし、自分を捨てて行くということにおいては、変わりはありません。
自分への囚われから救われる方法として、「アミダさまへの信仰」によるのか、「禅の修行」によるのか、という違いはありますが、最終的にたどり着く境地は、相通じるものがあるのではないでしょうか。

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