「宇宙とぶっつづきの自己」

2013-10-20

自分中心の思いにとらわれている限り、心は固く、戦闘的になります。
しばしば、宇宙つまり世界と自分とを対立関係の中で捉えて、自己の側の働きかけで、周りを変えていこうとしてしまいます。

そのような「世界を変えようとする努力」自体が無意味なわけではありません。それどころか、そのような努力の積み重ねによって、歴史は進歩してきたと言えるでしょう。

 ただ、自分の成功ばかりを意図した努力が、必ず世界を良くするとは限りません。

「世界を構成する個人は、自分の満足度を最大にするように行動すればよい。あとは、市場経済の調整機能に任せれば、「神の見えざる手」によってすべてはうまくいく。」というのが、アダム・スミス以来の古典的な経済学の大前提です。

 このような楽観的な世界観は、1980年代以降、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相によって「小さな政府」「規制緩和」として大復活しました。
欧米における金融活動に対する規制緩和によって、1990年代から2000年代にかけての欧米のファンドは大発展し、金融資本主義(ファンド資本主義)と言われるほどになりました。

90年代以降、複雑な新しい金融商品が次々と開発され、欧米には金融バブルが起こり、わずか15年ほどの間に、1京(けい)円<1兆円の1万倍>の金融資産を欧米に作り上げたと推定されています。

しかし、2008年9月のリーマンショックにより、金融バブルはもろくも崩壊しました。1千兆円と推定される膨大な不良債権が欧米の金融機関に発生し、その影響で経済的な大津波ともいうべき大不況が世界中を襲い、戦後初めての世界同時不況に突入しました。

自分たちの利益の最大化を最優先に考える欧米のファンド資本主義は、貧富の格差を拡大し、世界経済を混乱させる元凶として、厳しい批判を受けています。

日本は、世界に先駆けて、バブル崩壊の経験を持っています。
1980年代後半の日本のバブル経済と1990年以降のバブル崩壊により、一時期は100兆円(日本のGDPの20%に相当)と推定される膨大な不良債権が、日本国内の銀行などの金融機関に発生しました。

その後、日本は長期デフレ不況に突入し、「失われた10年(あるいは20年)」と海外から揶揄されるほど、不良債権問題に苦しみました。
しかし、21世紀以降は、金融庁が厳しく銀行や証券会社を監視していたため、日本の金融機関は、欧米で開発された新手の金融商品にあまり投資しませんでした。
 そのため、2007年までの欧米金融バブルには乗り遅れましたが、2008年以降のバブルの崩壊の影響も比較的小さくすみました。

 とはいえ、日本製品の最大の得意先であるアメリカやEU諸国が不況になったため、日本も、不況に引きずり込まれています。

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