『修身教授録』とペスタロッチについて

2014-02-09

森信三先生が傾倒したペスタロッチとはどのような人生を歩んだのかについて、確認したいと思います。

岩波文庫『隠者の夕暮れ』には、長田先生が書かれた「ペスタロッチ小伝」が解説に乗っています。しかし、「小伝」とはいっても、とてもここでは紹介しきれないほど詳しいものです。

また、森信三先生が推薦されている福島政雄先生の『ペスタロッチ』にも「小伝」が掲載されていますが、同様に詳しすぎますので、ウィキペディアから引用します。

<ペスタロッチの人生について>

ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi, 1746年1月12日 – 1827年2月17日)はスイスの教育実践家。一部の研究者は、「ペスタロッチー」と表記。

フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事した。イタリア、キアヴェンナにルーツを持つ新教徒の子としてチューリヒで生まれた。
活躍の舞台として、ノイホーフ、シュタンツ、イフェルドン、ブルクドルフが有名である。活躍の場所は、スイス各地にまたがる。

基礎的なものから高度なものへという、直観教授、労作教育の思想は、当時のヨーロッパでは高い知名度を持ち、多くの期待を寄せられた。特に当時のドイツからは様々な人物が、教えを乞いに彼のもとを訪れた。

なかでも、フリードリヒ・フレーベル、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトがその教育史上の意義としては群を抜いて有名であり、また重要である。
ペスタロッチの教育の実践は主として初等教育段階のものであったが、それをさらに幼児教育へと応用、展開したのはフレーベルの功績であり、また大学教育の場での教育学へとそれを整理、発展させたヘルバルトの功績も大である。初等教育のやり方の礎は、ほとんど彼によって築かれたといってもよい。

著書に、『隠者の夕暮』(1780年)、『リーンハルトとゲルトルート』(1781-87年)、『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』(1801年)、『白鳥の歌』(1826年)などがある。

『隠者の夕暮』は、そのタイトルから晩年の遺作のように思われがちだが、初期の教育実践で失敗した後の自己告白である。

また、同時代イギリスで、工場経営者ながら、幼少の子どもの工場労働を止めさせ、性格形成学院を設立した空想的社会主義者であるロバート・オウエンも、彼の学校を訪問したことがある。
(以上、ウィキペディアより)

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