『修身教授録』とペスタロッチについて

2014-02-09

ペスタロッチが社会的に活躍を始めたのは、フランス革命及び革命戦争の最中である1798年(ペスタロッチ52歳)でした。

80歳でペスタロッチが死没した1827年は、すでにナポレオンが倒され、ブルボン王朝が復活していました。

しかし、王政に対する市民の不満は大きく、それが、1830年の七月革命、1848年の二月革命につながり、19世紀後半には、完全に王政が倒され、共和制の時代に移ります。

ペスタロッチが活躍した約30年間(1798年~1827年)は、ヨーロッパ全体が戦国時代のような激しく揺れ動き、今日のデモクラシー政治の基礎を築いた時代でした。

しかし、それは、決して平和裏に行われたわけでなく、革命と戦争の中で、社会全体がもだえ苦しみながら、血を流しながら、やっと築き上げたものでした。

このような革命と戦争の影響で、ペスタロッチがいたスイスにも、たくさんの孤児や貧しい家庭に育つ貧児が生まれました。
これらの孤児や貧児たちは、教育から疎外された存在です。

1798年、シュタンツに孤児院が開設されるとき、ペスタロッチが孤児院長として、孤児や貧児の面倒を見ることになります。

戦争の混乱の中で路頭に迷う子供たちを孤児院に引き取り、貧しい食事を分かち合う中で、
ペスタロッチは、「すべての人類はその本質が同じ」であるとの信念と深い愛情をもって子供たちの救済と教育に取り組みました。

その取り組みが評価されて、やがて、1805年にイヴェルドンに学校を開き、その後、約20年間にわたって、ヨーロッパの教育の中心地となりました。
19世紀中に、ペスタロッチの教育思想が広くヨーロッパに普及し、やがて、日本の明治以降の近代教育にも取り入れられていくことになりました。

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