『損すること』を学ぶ

2013-11-16

私たち凡夫は、得することばかり考えて、なかなかうまくいかなくて、自分で自分を苦しめています。得することにネバネバとひっついて、自分でかけた蜘蛛の巣にとらわれているような感じになります。

なにか問題が起きてうまくいかないときは、たいてい、暗いトンネルに入ったような感じがするものですが、そのような時は、自分出かけた縄に自分が縛らているのでしょう。

そういう状況から私たちを救ってくれるのが、仏教の教えだと思います。

「人間は、本来、なにかにひっついて、自縄自縛に陥りやすいのだ」
と頭で理解しておくだけでも、自分の状況をかなり客観的にみる心の余裕が出来てきます。

それをさらに確かなものしてくれるのが、禅などの瞑想でしょう。

瞑想によって、心の迷いが静まると、「焦ってもしょうがない」という開き直りの気持ちが生まれ、心に余裕ができて、現在の苦しい状況をまともに受け止めることができたりします。
そうなれば、どこかに突破口が見つかる可能性が大きくなります。
仮に、ただ耐えるしかないときでも、「時間」という救い主がいます。時の経過により、必ず、周りの状況が変化しますから、心に余裕や自由な働きがあれば、状況変化に応じて、適切に対応できるようになることでしょう。

生物の進化が、環境変化への適応によって起こるように、私たちの人生も、環境変化に適応することで、自然と活路が開けてくるように思います。

心が何かにひっついて、迷ってばかりいると、環境に適応することができず、いつまでも、同じところでグルグルと空回りして苦しむのでしょう。

大きな本屋さんにいけば、ビジネス書のコーナーがあり、呆れるほどたくさんの本が並んでいます。どれもこれも、「こうしたら成功できる」「こうしたら儲かる」「こうした得をする」という得するためのスキルばかりが書かれています。
損する方法を書いた本には、まず出会いません。

しかし、得しよう得しようと思うことで、焦って視野が狭くなり、思わぬ失敗をして損することがあるのも事実です。
損得にとらわれないで、大局的な観点から、世の中のためになる仕事をしていけば、遅かれ早かれ、利益は後からついてくるものでしょう。

それが、本当のビジネスだと思いますが、なかなか、それができないのが、私たち凡夫の悲しさです。

仏教の教えとは、このような「得すること」への囚われから私たちを解放してくれるもの、より自由で、より大きな視野を与えてくれるものではないでしょうか。

沢木老師は、そのあたりを端的に、

「仏教を学するとは『損すること』を学ぶのである。」

と言われました。
本当に、味わいのある名言だと思います。

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