『禅と陽明学』より「儒教と老荘と禅」

2014-03-30

『論語』の主人公である孔子が歴史的にはっきりとした存在であるのに対して、老子や荘子は、実在した人物かどうか、分かりません。

現代の研究によれば、老荘思想に共鳴する多数の人々が、老子や荘子という名前に託して、思想的な文書を書き、それを後世の人が集めて本にしたのが、『老子』や『荘子』だといわれています。

すぐれた哲学者は、実業家ではなく、しばしば隠者的な生活を送ります。

西洋でいえば、生涯独身で哲学の研究に没頭したカントやショウペンハウエルなどは、隠者的な大哲学者といえましょう。

現代日本の『論語』とでも形容すべき『修身教授録』を書かれた森信三先生も、哲学者として、終生、隠者にあこがれていました。

実業の世界から身を引いて、隠者的な立場で、世の中を観察し、深く思索することによって、初めて見えてくるものがあるのでしょう。
隠者的な立場だからこそできる哲学的な思索は、実業の世界に生きる人々の心にも深く響くものがあります。

中国古代の戦国時代が終わり、漢が中国を統一して平和な時代が来ると、儒教と並んで、老荘思想が真剣に学ばれました。
むしろ、漢の時代には、老荘思想の方が、皇帝や貴族たちに好まれたといってもよいと思います。

孔子の教えが、常に現実社会の中で理想を求めるのに対して、老荘思想は、社会ができる以前の人間本来の姿をとらえようとしたものでした。

国を治める政治原理としては、儒教はなくてはならない教えですが、個人の精神生活にとっては、老荘思想が重んぜられたといえるでしょう。

隠者的な深い思索が、政治の最前線にある人々の心をとらえたのでした。

「易(えき)」の教えで、陰と陽の二つの原理があるように、陽原理の教えとして孔子の儒教と陰原理の教えとしての老荘思想は、二つでワンセットと考えて、両方を学ぶことが大事だと安岡先生は教えてくださっているのだと思います。

後に、インドから禅仏教が中国に伝わると、老荘思想と禅とは、きわめて親近性の高い教えでありました。

それゆえに、禅宗が中国仏教で最大の影響力を持つようになったというのが、安岡先生の歴史観であろうと私は思います。

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