『禅と陽明学』より「聖徳太子」

2014-02-13

中国の仏教史を見ますと、古い時代、つまり隋から唐の時代(6世紀から8世紀くらい)に、天台宗(てんだい-しゅう)や華厳宗(けごん-しゅう)といった壮大な哲学的体系性をもった中国仏教が盛んになりました。
 
 専門の仏教学者の書いたものによれば、中国の天台宗や華厳宗は、インドの仏教哲学を中国的に解釈しなおしたもので、中国発といってよい独創性を持っているようです。

 しかし、インドの影響なのか、相当に哲学的で、難しい教えであるように、私には感じられます。(正直言って、私には難しすぎて、勉強しきれません。)

天台宗や華厳宗のような哲学的な仏教では、経典を学問的に学習する必要が大きいでしょう。

エリートの僧侶には理解できても、文字もまともに読めない民衆には、明らかに難しすぎる教えです。

中国の民衆の間に仏教が広まるにつれて、哲学的な理論では、民衆が救われないことがしだいに明らかになります。

そこで、悩める人々を救うという実践的な要請から、坐禅の実修と直感的な悟り体験を重視する禅仏教(自力の教え)が中国で発達してきます。

禅仏教は、論理的な哲学体系よりも、直観や体験を重視するという意味で、最も中国的な仏教でした。

そして、中国人と同様に、現実派の日本人にとっても、深く共感できる教えでした。

同時に、ひたすら阿弥陀仏(あみだ-ぶつ)の慈悲による救いを説く浄土教(他力の救い)も、中国に生まれてきます。

禅と浄土という2つの宗派が、天台や華厳など哲学的、学問的な宗派を圧倒し、中国に根付いた仏教として盛んになります。

それが、唐時代の終わりごろから宋時代(9世紀~13世紀)にかけてのことでした。

中国における禅宗は、宋の時代(日本の鎌倉時代)に最も盛んとなり、その時代に日本に禅宗が伝わりました。

鎌倉時代の栄西(ようさい)や道元(どうげん)という日本人の僧侶が中国にわたって、中国の禅僧から禅仏教を学んで日本に伝え広めたのでした。

しかし、自力の修行を必要とする禅仏教は、主として、鎌倉幕府の最高権力者である北条氏をはじめとする武士たちに広まったようです。

同じ鎌倉時代には、中国の浄土宗に学んだ法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)によって、日本的な浄土教が確立され、貴族や民衆の間で大変盛んになりました。

日本では、鎌倉時代以来、禅も浄土も、それぞれ、今日まで純粋な形で教えが伝わっています。

しかし、中国では、明(みん)の時代以降(14世紀以降)、禅と浄土教は、融合するようになり、坐禅と念仏を一緒に行う念仏禅の教えに変化していきました。

中国的な禅と浄土教が一つになったという意味で、一つの発展ではあったのですが、宋時代の純粋な禅の教えは、中国では、事実上、滅んだといえるでしょう。

現代において、禅仏教の本家は、中国ではなく、日本です。明治以降、日本の臨済宗(りんざい-しゅう)や曹洞宗(そうとう-しゅう)の教えが、欧米などに「ZEN」として輸出されました。

今や、アメリカにも、ヨーロッパにも、禅仏教は立派に根付いており、禅の修行をする在家信者の数からいえば、日本よりも、アメリカやドイツやフランスの方が多いのではないかと思います。
やがて、欧米の禅僧から日本人が禅を学ぶ時代が来るかもしれません。

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