『禅と陽明学』より「聖徳太子」

2014-02-13

確かに、文献学的研究によれば、聖徳太子の存在は証明できないかもしれませんが、8世紀の『日本書紀』以来、日本人にとって、聖徳太子は、偉大な伝説として受け入れられてきました。

聖徳太子が創作であったとしても、偉大な聖人として受け入れられてきた歴史は消えるものではありません。

思えば、中国に禅を伝えたといわれる達磨大師(だるま-だいし)も、歴史学的には存在を証明できず、一つの偉大な伝説です。
達磨大師にかかわるいくつもの禅話は、おそらく後世の人が創作した物語でしょう。

しかし、達磨大師の話が創作であり、一つの伝説であったとしても、伝説には伝説の価値があります。

それは、神話を考えれば明らかです。

『聖書』の「創世記」に描かれた神がこの世界を作り出す話や、『古事記』にえがかれた天照大御神(あまてらす-おおみかみ)、スサノオノミコトなどの神話は、歴史的事実ではありませんが、私たちに、この世界に対する別な視点を教えてくれる価値ある物語です。

アメリカの神話学の巨匠であるジョセフ・キャンベル博士は、神話を学ぶ意味について、以下のように説明しています。

「神話は人間が共通に持っているものを明らかにしてくれます。
われわれは、みな死というものを理解し、
死に対処しなければなりません。

みんな、生命の意義をしり、永遠なる存在に触れ、
神秘的なものを理解し、
 自分が何者であるかを発見する必要があります。

神話は、私たち自身のうちに、
生きている無上の喜びを実感する助けとなるものです。」
(『神話の力』ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話は、科学的・歴史的な事実ではないかもしれませんが、私たちの人生を豊かにしてくれる何かを与えてくれる貴重な「物語」です。

同様に、聖徳太子や達磨大師の伝説も、太古の神話と同様に、私たちの人生を豊かにしてくれる知恵を教えてくれる「物語」であると思います。

したがって、聖徳太子が、後世の創作であり、伝説あるいは神話であったとしても、そのことで、聖徳太子の価値がすべて否定されるわけではありません。

聖徳太子の伝説が、私たちに教えてくれるものは、たくさんあると私は思います。

 むしろ、神話的な伝説であるからこそ、歴史的な事実とは異なる角度で、私たちの心に深く語りかけてくれるのではないでしょうか。

 創作であるかどうかは、歴史学者の研究にまつとして、私たちは、聖徳太子の伝説から、人生に役立つ意味をくみ取れるのかが、問われているのだと思います。

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