『青年の大成』(安岡正篤著)について

2014-02-09

私は、もともと、業(ごう、カルマ)が深いのか、日ごろの行いが悪いのか、あるいは、体質的に「うつ病質」なのか、40代前半にも、ワーカホリックから軽い「うつ病」になっています。

そのころ仕事は楽しかったのですが、深夜残業や休日出勤の連続で、心身ともに疲労が蓄積して、燃え尽きたのかもしれません。

この時は、自分から精神科に行きましたが、現在の診断基準ですから、すぐに軽度の「うつ病」という診断が出て、抗うつ薬や精神安定剤を処方していただきました。

勤務先の監査法人にも、正直に精神科の診断結果を報告したら、当時は、そのような人が結構おおかったらしく、中には自殺者も出たほどでしたから、上司も、すぐに理解を示してくれました。

まずは、2週間の有給休暇をとることを認めてくれて、その間に仕事の担当を減らしてくださいました。
2週間、薬を飲みながら、ひたすら静養しているうちに、抗うつ薬も効いてきて、少し楽になりました。とりあえず、薬を飲みながらですが、2週間休んだだけで仕事に復帰できましたから幸運だったと思います。
もちろん、上司の理解を得て、かつてのようなハードワークは控えて、これ以上「うつ病」が悪くならないように、コントロールしたのでした。

もっとも、今考えると、40代のときは、ユング心理学でいう「中年の危機」という人生の転換期にあったと思います。
仕事の忙しさがきっかけで「うつ病」の症状が出たとはいえ、それは、一つのサインと受け止めて、本当は、深く自分を見つめなおすべきだったのでしょう。

しかし、当時は、仕事優先の発想が強く、子育ても忙しい時でもあり、あまり深く考えずに、とりあえず精神科にかかって、抗うつ薬を飲んで、抑うつ症状を押さえた次第でした。

医学的な見地から言えば、薬や休養で症状がおさまれば「治った」と考えるのでしょう。私たちにとって、常識的な判断でもあります。

しかし、人間の精神的な成長という観点から考えますと、症状が治まれば終わりではなく、新しい精神的な探求の出発点ととらえるべきなのだろうと思います。
 私が、40代前半に心身から「うつ病」という形でうけた問題提起は、まだ本質な解決に至っていないと感じています。

孔子は『論語』の中で、「五十にしてして天命を知る」といわれていますが、現代のビジネスパースンで、「五十にして天命を知る」といえる境地に至っている方は少ないかも知れません。

職業や地位や財産にかかわらず、自ら「天命を知る」といえる方は、大変、立派で幸せであると思います。

私自身は、50代になっても、まだ自分の「天命」を明確に把握できず、カッコよく言えば、現在も天命を参究している最中です。
もう少し、平たく言えば、自分の人生の意味を明確にできず、悩み続けている状態です。

その意味で、安岡正篤先生の『青年の大成』の中の

「人間をお留守にする、自分自身を棚上げする」、
「外物ばかり取り上げて、自分というものを省(かえり)みない」

という言葉は、深く心に刺さった次第です。
このような優れた言葉との出会いの中で、自分を見つめなおす機会をいただけるのも、読書会の大きな魅力であろうと思います。

Copyright© 2012 二代目、三代目経営者を公認会計士が支援する有徳経営研究所 All Rights Reserved.