今東光の毒舌人生相談-その1「本音と建前」3

2013-05-03

「本音」と「建前」は、平和な社会を築き維持するために、必要不可欠なものです。必要悪というべきかもしれませんが、上手に使い分けることができれば、本人にも、社会にも、プラスになることがあるでしょう。

今東光師が、『週刊プレイボーイ』で人生相談をしていたのは、1975年から77年です。当時は、日本経済は絶好調で、欧米の経済学者から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛され、また脅威と受け取られました。

それでいて、「一億総中流」という言葉が普通に使われたように、国民の9割が「自分は中流階級に属している」と感じることができた経済格差も少ない時代でした。凶悪犯罪の発生率も世界一低く、平均寿命は、世界一長く、世界でも、最も良質な社会であったと思います。

1970年代後半から1980年代後半のバブル期にかけては、経済的には、1960年代の高度成長期と並ぶ、日本の黄金時代と言えるでしょう。

ちなみに、東日本大震災後の津波に襲われた街の映像をみて、東京下町育ちの戦前生まれのある方は、敗戦後の日本の状況を思い出したそうです。
敗戦後の東京にも、かつては、津波後の東北の街々と変わらないような荒涼たる風景がいたるところに見られたそうです。

私は、昭和36年生まれなので、そのような廃墟的な光景は直接見たことはありません。しかし、テレビなどでは、当時の映像を見ていますので、その方の感想もよく理解できます。

その敗戦後から20年も経たずに、当時世界一の電波塔であった東京タワーを建設し、世界で最初に200キロ以上のスピードで走る高速鉄道「新幹線」を作り、アジアで最初のオリンピックである「東京オリンピック」を成功させました。

1970年の大阪万博では、数千万人の入場者が世界中から集まり、上海万博に抜かれるまでの世界記録を打ち立てました。

1960年代から198年代の日本は、経済的には人口1億人余りの日本が、13億人を超える現在の中国以上の存在感を示していた時代でした。

1990年のバブル崩壊後、20年以上もデフレ経済が続いている今の日本よりも、1970年代の日本は、はるかに景気がよく、未来に対して明るい希望を持てる時代でありました。

そのような明るい時代と社会を支えていたのは、真面目な企業戦士であったサラリーマンであり、教育者(学校の先生)であり、世界一優秀と言われた官僚組織と官僚達だったのではないでしょうか。

名もない庶民から社会のエリートである官僚まで、本音と建前を上手に使い分けながら、世界一安全で豊かな社会を築いたのではないかと私は思います。

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