仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるもの

2013-11-29

曹洞宗の禅僧の中で、昭和の時代に最も活躍されたのが、沢木興道老師です。(さわき こうどう、道号:祖門、明治13年(1880年)生まれ - 昭和40年(1965年)没)

何回かに分けて、沢木興道老師の残された名言に、一番弟子であった内山興正(こうしょう)老師が解説した本、『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』(大法輪閣)から、沢木興道老師の名言及び教えをご紹介してきました。

この本の後半は、「沢木興道老師の坐禅について」と題して、内山老師が沢木老師の教えをまとまった形で解説されています。
これがまた、大変、味わいのある良い文章なので、適宜、要点をご紹介していきます。

昭和16年7月の総持寺夏期参禅会で、沢木老師に出会い、そのお話に夢中になった内山老師は、話の内容を自宅に戻ってから整理されました。

そのときのノートを40年以上もたった70代の円熟した禅僧となった内山老師ご自身が読み返してみて、
「まだ坊主になる以前、坐禅も何も知らないときに、
沢木老師の話を聞いただけで、よくこれだけまとめたな、
と我ながら感心する」

と自ら書かれています。

そのとき、内山老師がまとめた沢木老師の教えのポイントは、以下の5か条です。

第一、仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を
教えるものである。
第二、坐禅は、透明なる自己になることである。

第三、坐禅は、自分が自分を自分することである。
第四、坐禅は、宇宙とぶっつづきの自己になることである。

第五、坐禅してもなんにもならぬ。

まず、沢木老師の教え5か条の第1条「仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるものである。」について、内山老師の解説を見てましょう。

<内山興正(こうしょう)老師の解説>
まず第一、「仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるものである」ということ。

―これ、はじめにも申し上げたように、私は若いころ「自己の真実に生きよう」というのが、私の願いだったわけでしょう。
しかしその真実とは何か――その「真実」の意味が、私自身にもはっきりしなかったのだが、老師はこれをはっきり「ゆきつく所へゆきついた人生」という言葉で言いきられた。

私はもはやこの一言を聞いただけで、ぜひこの老師の弟子にしてもらおうと決心したのです。そのくらいこの言葉は私を引きつけました。

「自己の真実に生きよう」という願いをもっていたものの、「その「真実」の意味が、自分自身にもはっきりしなかった」という20代の内山老師は、昭和16年7月に、鶴見の総持寺における夏季参禅会において、沢木興道老師と出会いました。

そのとき、内山老師の運命を決めた一言が、「仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を教えるものである。」という沢木老師の言葉でした。

この言葉を聞いた内山老師は、「私はもはやこの一言を聞いただけで、ぜひこの老師の弟子にしてもらおうと決心したのです。

そのくらいこの言葉は私を引きつけました。」ということですから、内山老師の感激のほどが伺えます。

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