安岡正篤先生の本との出会い

2014-02-09

『修身教授録』の森信三先生も、アカデミズムの世界(西洋哲学の学界)では最後まで評価されませんでした。
森信三先生は、正続合わせて33巻もの全集(学術的著作を多く含む)を書かれたにもかかわらず、どの大学からも「博士号」を授与されませんでした。

森先生ご自身も、「アカデミズムの世界では、いかに西洋の学説を勉強したかが評価され、独自の哲学は評価されないので、学位(博士号)はあきらめた」という趣旨のことを全集の中で書かれています。

同じように、安岡正篤先生の学問も、西洋的な文献学が主流の学界(東洋史や東洋哲学や政治学など)では、正当に評価できなかったのでしょう。評価の基軸が全く異なるので、やむを得ないことかもしれません。
森信三先生や安岡正篤先生に対する扱いを見ると、戦後の日本の大学や学会が、いかに「人間学」や「人間教育(徳育)」を軽視していたのではないかと感じます。
あるいは西洋の有名な学者の学説は受け入れても、日本のオリジナリティがある学者の説は受け入れないということかもしれません。

さて、1960年代の高度成長期から1980年代後半のバブル期までの日本は、経済力で世界の中で輝いていました。
その後、1990年代以降は、「失われた20年」といわれる長期デフレ経済の中で、日本経済は、かつての輝きを失ったように感じます。

反面、長い不況の中で、日本人がより堅実に自分の足元を見つめる精神状況になってきたように思います。

その意味で、多くのビジネスマンが、安岡先生のご本を読んで人間学を学ぼうとしている現代の方が、80年代までの日本より、精神的には、はるかに健全な状況にあるといえるかもしれません。

昭和20年の敗戦後、国民が飢えに苦しむような悲惨な状況から、政財界の指導者が安岡先生の人間学を学びながら日本を立て直し、高度成長から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に導いたたように、21世紀の日本人も安岡教学(安岡先生の人間学)に学ぶことで、新しい日本を作っていけるのではないでしょうか。

とはいえ、21世紀の日本が目指すべきは、高度成長期のような単純な規模の拡大を目指す経済成長主義でもなく、まして戦前の軍国主義でもないでしょう。
 和食が世界文化遺産に認定されたように、文化の力で世界平和に貢献する新しい日本のあり方が求められているように思います。

日立金属の初代社長であった中村隆一氏は、「最良の会社」という理念を掲げました。今風にいえば、「エクセレント・カンパニー」ということかもしれません。
その言葉を借りていえば、今後の日本は、「最良の国」「エクセレント・カントリー」になることを世界から期待されているのではないでしょうか。

「最良の会社」であれ、「最良の国」であれ、組織や仕組みだけでできるものではないと思います。
構成員である一人ひとりの人間的な成長が必要でしょう。

そのための筋道を私たちに教えてくださるのが、安岡教学(安岡正篤先生の人間学)なのだろうと思います。

さて、今回は、前置きだけで終わってしまいましたが、次回から、安岡正篤先生の『禅と陽明学』(プレジデント社)の中から、主として禅仏教について安岡先生が書かれたことをご紹介し、それに関する私の感想を書いていこうと思います。

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