無門関第二十則「大力量人」

2014-06-08

『無門関』第二十則「大力量人」の主人公は、松源崇岳(しょうげん-すうがく)禅師です。松源(しょうげん)は、無門(むもん)とほぼ同時代の南宋の人です。

松源(しょうげん)禅師がお亡くなりになったのが、1202年ということですから、日本でいえば、鎌倉時代初期になります。『無門関』に出てくる禅師方の中でも、もっとも時代が新しい方の一人です。

松源(しょうげん)禅師は、日本とも深い関割があります。

松源の直系の4代目の弟子が日本の大応国師(だいおう-こくし)であり、大応の弟子が、京都の大徳寺を開山された大灯国師(だいとう-こくし)だからです。

今日の日本の臨済宗は、すべて大応国師-大灯国師の系統ですので、臨済宗のお坊さんは、遡れば、すべて松源(しょうげん)禅師の法孫ということになります。それだけ日本にご縁の深い禅匠(ぜんしょう)といえましょう。

さて、まずは、本文を漢文の書き下し文でご紹介いたします。

言葉は難しいのですが、漢文には現代の口語文にない独特の格調高い響きがありますから、意味を考えずに、素読(そどく)するには適しています。

素読(そどく)とは、声に出してテキストを読む音読のことですが、テキストに親しみ、その精神を受け取るには、なかなか優れた方法のようです。
江戸から明治大正くらいまでは、幼稚園児くらいの年齢から10代の少年時代にかけて、『論語(ろんご)』や『孟子(もうし)』などの漢文の古典を素読することが当たり前の教育でした。

小さい子供の場合は、当然、意味は分かりませんから、意味を考えずに、ただ音読するだけですが、そうすることによって古典の言葉が、脳裏に刻まれます。

長じて大人になって古典の意味が分かるようになると、子供のころに素読した古典の知恵が、心の中で生き生きと働きだします。

本人の素質や人生経験にもよるでしょうが、素読は、古典の知恵が身体にしみ込むという優れた教育方法です。

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