無門関第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」

2014-07-20

まず、第四則の主人公である或庵禅師(わくあん-ぜんじ)から修行者(および読者)に向けて投げかけられた本則、すなわち公案そのものから確認しましょう。

<本則:原文>
或庵(わくあん)曰(いわ)く、
「西天の胡子(こす)、甚(なん)に因(よ)ってか、
鬚(ひげ)無き?」

<本則:現代語訳>
或庵(わくあん)が言われた、
「達磨(だるま)は、一体どういうわけで、
鬚(ひげ)がないのか?」
(岩波文庫・西村恵信訳より)

或庵(わくあん)は、「西天の胡子(こす)」と呼んでいますが、現代語訳では、達磨大師(だるま-だいし)として訳されています。

達磨(だるま)は、スリランカの人で、インドで禅仏教を学び、6世紀の南北朝時代に、インドから中国にわたって、中国にはじめて禅の教えを伝えた方とされます。

とはいえ、達磨大師(だるま-だいし)は、その存在自体が伝説的なもので、歴史学的には実在を証明できないようです。近現代の仏教史の研究によれば、禅仏教は、インドでうまれた仏教が中国化されたものであり、中国で生まれた宗派であるとされます。

おそらく、禅仏教が中国全土にひろまった南北朝時代末期から隋(ずい)唐(とう)の時代にかけて、後代の人によって、禅宗の初祖(しょそ)としての達磨大師(だるま-だいし)の伝説が創作されたのでしょう。

しかし、歴史的には伝説であったとしても、日本でいえば、江戸時代までは、達磨大師(だるま-だいし)は、歴史的に実在した偉大な祖師として、禅宗では特に重んじられていました。

さて、本則の冒頭にある「西天」とは、中国から見て、西の方の国、すなわちインドのことを指しています。「胡子(こす)」とは、「えびす野郎」ということで、野蛮人という見下した表現です。

中国伝統の中華思想からみれば、中国の周辺国はすべて文明の劣った野蛮な国です。そのため、仏教の本家であるはずのインドも、中華思想からいえば、文明の劣った野蛮な国の一つとなります。

或庵(わくあん)は、禅宗において、あまねく尊敬されている達磨大師(だるま-だいし)のことをわざと「西から来た野蛮人」と呼んでいるのですが、それはなぜでしょうか?

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