無門関第四則「胡子無髭(こす-むしゅ)」

2014-07-27

さて、「胡子無髭(こす-むしゅ)」の解説は、前回までで、一通り終わりましたが、最後に、中国文学者の魚返善雄(おがえり-よしお)先生の超訳をご紹介しましょう。

魚返善雄(おがえり-よしお)博士は、1910年生まれで、1966年にお亡くなりになりました。中国文学の研究者であり、27年間も東京大学の講師を務めた一流の学者でした。

その魚返(おがえり)博士が、昭和20年代後半に、普通は中国文学で研究対象にしない禅の古典である『無門関』に取り組みました。

『無門関』は、禅の専門書ですから、内容的にも難しいのですが、語学的にも当時の俗語が多く、正確な翻訳が難しい本です。

禅門で伝統的に伝えられてきた読み方はあるのですが、魚返(おがえり)博士は、伝統にとらわれず、あくまでも中国文学者の視点で、『無門関』に取り組み、それまでにない新しい訳文を昭和20年代に仏教雑誌「大法輪」に連載しました。

それに手を加えて、亡くなる直前の1965年(昭和40年)に本にしました。その新版がいまでも『現代語訳 無門関 禅問答四十八章』(魚返善雄著・学生社)として入手できます。

禅的に見て正しい訳かどうかは別として、日本語して、禅の自由闊達な世界を巧みに表現していると思います。最後に、魚返博士による「胡子無髭(こすむしゅ)」の現代語訳を紹介いたします。

惑庵(わくあん)がいう、

「西の毛唐(けとう)に、なぜヒゲがない?」

 無門がいう—思うにも真実、悟るにも真実。

ここの「毛唐」も、ただひと目見て、つかむがよい。
 「ひと目見る」といえば、もう二人だ。

歌に— 
    おろか者には、 夢説くまいぞ。
    毛唐のヒゲなど、 よけいな苦労。

魚返善雄訳『無門関 禅問答四十八章』(学生社)より

魚返博士は、研究者ですから、先行する禅僧による『無門関』の提唱録にも目を通していたと思います。当然、「胡子(こす)」とは、達磨大師(だるまだいし)のことを指していると理解していたことでしょう。

それにもかかわらず、あえて、原文の味わいを表現するため「胡子(こす)」を「西の毛唐(けとう)」と翻訳したのは、魚返博士の見識だと思います。

魚返博士の現代語訳だけでは、『無門関』の言いたいことはなかなか理解しにくいと思いますが、解説書を読んで一通り理解した上で、読むと、全体的に、リズム感がよく、味わいのある痛快な翻訳であると感じられます。

                    (この項、終わり)

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