無門関第45則「他是阿誰(たぜ-あた)」

2014-08-03

さて、『無門関(むもんかん)』第45則「他是阿誰(たぜ-あた)」の公案は、短くても「格調高く、切れ味のするどい法演(ほうえん)禅師の禅の面目躍如(やくじょ)たる一則」(柴山全慶老師)といわれています。

なお、『無門関(むもんかん)』は、中国で成立した本ですので、当時の俗語のまじった漢文で書かれています。まずは、第四則の漢文の書き下し文を掲載します。(難しいと感じる方は、書き下し文は、読み飛ばしても大丈夫です。)

【原漢文の書き下し文】

『無門関』第45則 他是阿誰(たぜ-あた)                               

<本則(ほんそく)>・・公案そのもの

東山(とうざん)演師祖(えん-しそ)日(いわ)く、

「釈迦(しゃか)弥勒(みろく)は、

猶(な)お 是(こ)れ 他(た)の奴(ぬ)。

且(しば)らく道(い)え、

他は是(こ)れ 阿誰(あた)ぞ。」

<評唱(ひょうしょう)> ・・無門和尚の禅的な批評

無門(むもん)曰(いわ)く、

もし他(かれ)を見得(けんとく)して

分暁(ふんぎょう)ならば、

譬(たと)えば十字街頭(じゅうじ-がいとう)に、

親爺(しんや)に撞見(どうけん)するが

如(ごと)くに相似(あいに)たり。

更(さら)に別人(べつじん)に問うて

是(ぜ)と不是(ふぜ)を道(い)うことを須(もち)いず。

<頌(じゅ)>・・無門和尚による禅的な漢詩

頌(じゅ)に曰(いわ)く

  他(た)の弓(ゆみ)を 挽(ひ)くこと莫(なか)れ、

 他(た)の馬に 騎(の)ること莫(なか)れ。

 他(た)の非(ひ)を 弁ずること莫(なか)れ、

 他(た)の事(じ)を 知ること莫(なか)れ。

以上が、原漢文の書き下し文ですが、

これだけでは全く意味が分からないと思いますので、

次に現代語訳を掲載します。

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