禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(23)開催しました。

2016-02-20

この講座では、2500年の歴史をもつ禅的瞑想法を誰でもできる「イス禅」としてお伝えします。

禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。という内容で月1回開催しております。

禅では「衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏(ほとけ)なり」といいます。

誰もが本来、仏教と同じ美しい心、宝物のような心を持っているという教えです。

ただ、日々の忙しさやストレスでマイナス感情の意識が生まれ(煩悩)自分の宝物を忘れてしまっている。

これをイス禅の瞑想により心が「空(くう)」に近づく時間を持つ事で仏様(サムシンググレート)の世界と一体に近づく!
それを固く意識して行う事ではなく自然と1日10分イス禅をするだけでも誰もが持っている心の宝物が自然に輝きますという事で
難しく取り組む事なくイス禅をベースに開催しております。

(禅の効用)
・心を「空」にすることで、心が安らぎ、ストレスが溶けていく
・潜在意識のレベルで創造性が高まる
・しなやかで折れにくい心(平常心)が養われる

 

今回は

本来無一物(ほんらい-むいちもつ)について

■弘忍(ぐにん)と慧能(えのう)(1/2)

中国に禅の教えを伝えた達磨大師(だるま-だいし)から数えて5代目という意味で、五祖(ごそ)といわれた禅僧が、弘忍(ぐにん)です。弘忍(ぐにん)は、7世紀の唐時代初期に活躍しました。 達磨大師(だるま-だいし)の時代、禅宗は小さな宗派でしたが、弘忍(ぐにん)のころには、かなり規模が大きくなっていたようです。弘忍(ぐにん)の修行道場には、700人もの修行僧が集まって修行に励んでいました。 そこに、慧能(えのう)という若者がやってきました。後に、弘忍(ぐにん)の後をついで、六祖(ろくそ)といわれるようになる方です。

慧能(えのう)は、若いときに父親と死に別れ、貧乏な生活の中で、山でたきぎを拾って町で売る仕事で、母親を養っていたといわれます。ある日、慧能(えのう)は、町で禅僧が読んでいた金剛経(こんごうきょう)というお経の一節を聞いたとたん、忽然(こつぜん)として悟りを開きました。

お坊さんでもなく、仏教の勉強や坐禅など何もしていないのに、読経の声を聞いただけで悟りを開いたのですから、慧能(えのう)はよほど天才肌なのでしょう。

(仏教的には、前世・過去世において、十分な修行や功徳(くどく)を積んだから、今生において、わずかなきっかけで悟りを開いたと考えます。)

 

禅の解説書には、「坐禅をしなければ悟れないというわけではない。慧能(えのう)のように、心が白紙になってお経を聞けば、いっぺんに悟れる。しかし、なかなか白紙になれないから、坐禅の修行をするのだ」と解説されています。 さて、慧能(えのう)は、悟りを開いたことで、禅の教えをさらに深く学びたいと思うようになります。幸い、経済的に母親の生活を面倒見てくださる方がみつかったこともあって、はるばる弘忍(ぐにん)の禅道場を訪ねました。

慧能(えのう)としては、弘忍(ぐにん)の弟子となって正式に出家するつもりだったのでしょう。慧能(えのう)と会った弘忍(ぐにん)も、最初の面接で「これはただ者ではない」と認めたようです。

しかし、飛び込みでやってきた人が、いきなり出家できるほど、甘くはありません。慧能(えのう)は、僧侶見習いというべき寺の雑用係(寺男)になりました。現代風にいえば、中途採用面接を受けたが、すぐに正社員(僧侶)にはなれず、まずは、非正規社員(寺男)として採用されたというところでしょうか。 慧能(えのう)は、700人の修行僧が毎日食べるお米をつく「米搗(つ)き部屋」に配属されました。米搗(つ)きとは、玄米をついて白米にする作業です。現代ならば、機械で簡単にできる作業ですが、1千年以上前の慧能(えのう)の時代は、足ふみ式の臼(うす)で人がついたそうです。

寺男となった慧能(えのう)は、毎日何時間も、ひたすら米搗(つ)きを続けていました。米搗(つ)き三昧(ざんまい)になって、自分の悟りを深めていったのでしょう。

坐禅を「静中の工夫(くふう)」というのに対して、掃除や農作業などの仕事を「動中の工夫(くふう)」と言います。心を込めて、一心不乱に「動中の工夫」(仕事)に打ち込めば、坐禅以上の功徳(くどく)があるといわれています。 さて、慧能(えのう)が、弘忍(ぐにん)の禅道場に来て、8ヶ月ほど経ったときに、禅宗史上に残る大事件が起きました。「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」という大変有名な禅語の出所となったできごとです。

「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」とはどのような事件をきっかけに生まれた言葉であり、どのような境地をいうのでしょうか?

以前から慧能(えのう)を評価していた弘忍(ぐにん)は、すぐに慧能(えのう)の作と気が付きました。しかし、道場内の混乱を防ぐため、人前では「こんな詩はダメだ。破り捨ててしまえ。」とあえてけなすようなことを言いました。実際には、弘忍(ぐにん)こそ、誰よりも慧能(えのう)を認めていたのです。ある日の深夜、弘忍(ぐにん)は、ひそかに慧能(えのう)を自室に呼んで、正式に出家させて自分の後継者と認め、その証(あかし)として由緒(ゆいしょ)あるお袈裟(けさ)や鉄鉢(てっぱつ)などを与えました。弘忍(ぐにん)は、「お前の身に危険が及ぶといけない。当分は、私の後継者であることを伏せて、世の中から隠れて自分を磨きなさい。」といって、その夜のうちに、ひそかに慧能(えのう)を寺から逃がしたのでした。

最下級のしがない雑用係である慧能(えのう)が、弘忍(ぐにん)の後継者になったと分かれば、それをねたむ人々から危害が及ぶおそれがあります。それを避けるためでした。実際、数日たって、慧能(えのう)が、弘忍(ぐにん)の後継ぎになったことが分かると、道場内が大騒ぎになりました。慧能(えのう)を詐欺師や泥棒呼ばわりして、後を追いかけて、寺の宝である大事なお袈裟(けさ)などを取り返そうとした人も現れたほどです。 弘忍(ぐにん)の眼に狂いはありませんでした。中国の南方に逃げおおせた慧能(えのう)のもとから、後に、次々と優れた弟子が育ちました。現代につながる禅は、すべて慧能(えのう)の系譜です。今日においても、慧能(えのう)は、歴史上、最も優れた禅僧の一人として尊敬されています。

慧能(えのう)の「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」とは、何事にもとらわれない、悩みも、悟りも忘れた、絶対的に自由な境涯です。禅の理想とする境地ですが、一般的な言葉に当てはめれば、「しなやかな心」のあり方を表しているといえるでしょう。

人間は、誰でも生まれる前は、「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」というべき状態にあり、人生が終われば、また、「無一物」の世界に帰っていきます。

禅では、「夢」という文字は、はかない人生の象徴という意味があります。

「喜びも悲しみも、成功も失敗も、すべては夢。こだわりすぎるな、捉われるな!」ということです。

 

人は困難に直面したり、窮地に立たされたりしたときに、深く悩み苦しむものです。

人生には、必ず困難な状況がおこるものであり、変化の激しい21世紀のビジネス社会において、なおさら、そのリスクが高いといえるでしょう。

 

困難に直面した時に、「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」と腹をくくることができれば、過度に落ち込んだり、悲観したりせずにすむでしょう。肩の力を抜いて、状況に素直に対応していけば、自然に道が開けてくるものです。

 

このような心のしなやかさ(レジリエンス)を高めるコツが、「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」であると、この禅話は教えてくれています。

 

 

<ここがポイント>

1.困難なときは「本来無一物(ほんらい-むいちもつ)」と腹をくくる。

2.人生は一場の夢。成功や失敗にこだわりすぎない。

3.心のしなやかさ(レジリエンス)を大事にする。

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