禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(7)開催致しました。

2014-09-20

2014年9月17日に禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(7)開催致しました。

今回の流れと致しまして
禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。
そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習。
その後、『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話をご紹介。

このような流れで行ないました。

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イス禅を行なった後、下記の公案を行ないました。
みなさんも、宜しければお考えください。
なぜ、牛のしっぽのみが通り過ぎないのだろうか?

『無門関』第38則 「牛過窓櫺(ごか-そうれい)」                               
<本則(ほんそく)>・・公案そのもの

五祖(ごそ)云(いわ)く
「たとへば水牯牛(すいこぎゅう)の
窓櫺(そうれい)を過ぐるが如(ごと)し。
頭角(ずかく)四蹄(したい)、
都(すべ)て過ぎ了(おわ)るに、
甚麼(なん)に因(よ)ってか、
尾巴(びは)、過(す)ぐることを得ざる?」

【現代語訳】西村恵信訳『無門関』(岩波文庫)より

五祖(ごそ)が言われた、
「たとえば水牛が通り過ぎるのを窓の格子越しに見ていると、
頭、角(つの)、前脚(まえあし)、後脚(うしろあし)と
すべて通り過ぎてしまっているのに、
どういうわけで尻尾(しっぽ)だけは、とおり過ぎないのだろうか?」

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