第二十則「大力量人」(解説その1)

2014-06-19

中国の宋の時代、13世紀に書かれた『無門関(むもんかん)』は、古来、日本の臨済宗系の禅道場では、最もよく学ばれてきた古典の一つです。

『無門関』は、禅の公案集としては、分量がコンパクトなこともあり、老師方(ろうしがた)による「提唱録」(禅的な講義録)が最も多く刊行されている古典ではないかと思います。

さて、戦後に出版された何冊かの提唱録を参考にしながら、『無門関』第二十則「大力量人(だいりきりょうにん)」の内容を解説してみましょう。

もっとも、私は、お師家(しけ:禅の最高指導者の資格)様ではないので、解説というより、老師方の提唱録を読んでの感想文といったレベルのものです。

しかし、専門家は、専門家としての説明のルールがあるので、私のようなアマチュアには、アマチュアリズムとしての自由さがあるので、禅になじみのない一般の方には、かえって共感をいただけるかも知れません。そうであることを願いながら書いていきたいと思います。

まず、第二十則の主人公である松源和尚から修行者(読者)に向けて投げかけられた2つの問いのうち、第一の問いを確認しましょう。

<原文>「大力量の人、甚(なん)に因(よ)ってか、
脚(あし)を抬(もた)げ起(お)こさざる?」

<現代語訳>「修行によって勝れた力を発揮できるような人が、
    いったいどうして坐禅から立ち上がろうとしないのか」
(岩波文庫・西村恵信訳より)

原文の「大力量の人」を西村恵信(えしん)師は、
「修行によって勝れた力を発揮できるような人」と訳されています。

さて、「(禅の)修行によって発揮される勝れた力」とは、
どのような力をいうのでしょうか?

安谷白雲(やすたに-はくうん)老師の提唱録では、
「忍耐力」であると解説されます。

「忍耐力」を最高レベルで完成されたのが、
お釈迦(しゃか)さまであるということです。

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