自己の存在価値を自己において見出す
内山老師のところに、相談に来たアメリカの大会社の社長さんは、映画の一コマのような大邸宅に住んで、当時の日本人には想像もつかない豊かな生活をしていたと思います。
それでも、このアメリカの大会社の社長さんは、
「私は家庭的にも恵まれています。経済的にも豊かです。
しかしなぜかこのごろ、とても虚(むな)しく、
さびしい思いがしてならない。
これはいったいどういう訳でしょう」
という悩みを持っていました。
しかも、仕事か、観光かわかりませんが、アメリカから日本に来た時に、わざわざ日本人の禅僧に、このようなデリケートな問題について、正直な質問をしているのですから、実は内面的にも豊かな、深い内省力を持ったお人柄なのでしょう。
それに対する内山老師の回答は、
「あなたは、あなた自身を知らないからだ。
あなた自身に、なっていないからだ」
というものでした。
「自分が自分していない」から恵まれた人生が虚しく感じられてしまうのだという趣旨の答えだと思います。
しかし、これだけでは、アメリカ人には伝わらないと考えられたのか、内山老師は、さらに詳しく、懇切丁寧に以下のような説明をされたそうです。
<内山興正(こうしょう)老師の解説-3>
つまりふつう世間では、自分というものを、
わが子に対しては親、女房に対しては夫だ、と思っている。
そして勤めに出ていれば社会的にはサラリーマンだと
思っているし、
その会社で上役に対しては下役、下役に対しては上役。
お客さんに対してはオレは売り手。
能力ある人に対してはオレは無能力、
金持に対してはオレは貧しいなどど
一々、ほかとのカネアイで、
自分というものの恰好(かっこう)がついている。
そしてこの他とのカネアイでできた恰好(かっこう)だけを
自分というものだと思いこんでいる。
内山老師は、まず、
「世間では、自分というものを(中略)
ほかとのカネアイで、
自分というものの恰好(かっこう)がついている」
と世間的な生き方について説明しています。