自由な精神の現われ
2015-09-21
■矛盾解決の方法(3/3)
禅の世界では、しばしば、本質的で重要な問いに対しては、怒鳴ったり、叩いたりという理屈を超えた「働き」をもって答えようとします。
百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)もまた、黄檗(おうばく)のことを叩くか、怒鳴るかして「問い」に答えようとしたのでしょう。
それを見ぬいた黄檗(おうばく)が、百丈(ひゃくじょう)の先手をとって、自分の見解を示したのでした。
弟子の黄檗(おうばく)に顔を叩かれた百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は大いに怒るかと思いきや、かえって大笑いして、黄檗(おうばく)の働きを誉めたと伝わっています。
禅堂で、他の弟子たちの前で、いきなり師匠の顔を叩く弟子や、弟子から顔を叩かれて大笑いする師匠が出て来る話を読むと、
「禅とは、何と奇妙なものだ」と感じる人もおられるでしょう。
このようなことをそのまま真似して、上司や先生の顔を叩いたら、狂人と大差ないことになります。
このようなエピソードを通じて、私達が学ぶべきことは、表面的な行為ではありません。
その底に流れている枠にとらわれない自由な精神を学ぶべきでしょう。
私達の仕事においても、人生においても、あちらを立てれば、こちらが立たないという困った場面が出て来るものです。
それを乗り越えてこそ、新しい道が開けると思いますが、時には、問題解決のために思いきった方法を取ることも必要でしょう。
そのような時に、禅の自由な精神は、ひとつの参考になるのではないでしょうか。