自由な精神の現われ

2015-09-21

私は「スーパー広報術」(配信数13万部)という老舗のメルマガに、毎月2~3回、『ビジネスに役立つ禅の話』というテーマで原稿を掲載しています。(毎月、15日頃と月末頃に配信)

<スーパー広報術> http://s-pr.com/super-prway/

このブログでも、配信済みの原稿は、順次、ご紹介してきましたが、

今回は、第22号(2014年10月下旬に配信)をご紹介いたします。

■師匠に挑戦する弟子(1/2)

前回のブログで、「野狐禅(やこぜん)」という言葉の出典となった禅のエピソードをご紹介いたしました。

「野狐禅(やこぜん)」とは、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれることであり、転じて、物事を生かじりして、知ったような顔でうぬぼれることを意味します。現代では、一般の国語辞書にも載っている言葉です。

前回は、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)が、野狐(やこ)の妖怪となった元禅僧との対話まで紹介いたしましたが、この話には、続きがあります。

野孤(やこ)の妖怪となった元禅僧は、「不落因果(ふらく-いんが)」と弟子に教えました。

「禅の修行を極めれば、因果の法則(原因と結果の法則)にしばられない大自由を得ることができる」と言う意味です。

しかし、この元禅僧が「不落(ふらく)」にこだわりすぎたことは間違いでした。そのため、バチがあたって妖怪になって、何百年も成仏できずに、山の中をさ迷っているというのです。

それに対して、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は、

「不昧因果(ふまい-いんが)」と教えました。

「禅の修行を極めた人であろうと、お釈迦(しゃか)さまでも、

「原因と結果の法則」をくらますことはできないぞ!」

という意味です。

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