「妙好人(みょうこうにん)」-才市(さいち)-その11

2013-05-03

このあさましが、今、娑婆(しゃば)の世で、
いま親様(おやさま)と、あすんでをりますよ
            (遊んでおりますよ)

才市の詩では、

「このあさましい凡夫である才市が、この世において、
阿弥陀様(あみださま)と遊んでいる」

というのです。

わたしや親様と、弥陀(みだ)の浄土(じょうど)に、
あすびとられますよ(遊び取られますよ)

親様つまり、阿弥陀様と一緒に、極楽浄土(ごくらくじょうど)に遊び取られるというのです。

鈴木大拙(だいせつ)も、この詩には、感嘆して、次のように解説しています。

「今、娑婆(しゃば)で、このあさましの身をそのままにして、
みだと共に遊戯三昧(ゆげざんまい)の生活をやって居る。

そして浄土(じょうど)も亦(また)、この遊戯の継続に過ぎないのだということは、よほど信心に徹底したものでないと、そうはいいきれないのである。」
(『日本的霊性』角川文庫版P. 277)

別の箇所では、才市のことを「悟道の達人」とまで評価しています。

「才市(さいち)は悟道の達人であった。
彼は禅者のようにお悟りを振りまわさない。

いつもありがたいとか、よろこばしいとか、
うれしいとか、楽しいとかいって、
知性的表現を用いぬ。

これは浄土系の人々の特徴で、
彼らは何事をも惰性的文字で述べる。」

(『日本的霊性』角川文庫版P.279)

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